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Channel: 工場長の製作日誌
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マッチ箱客車をつくる

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今回は一味変えて少し昔の鉄道風景を・・・
大正期の私鉄でしょうか?そんなイメージです。
何となくこの時代の「汽車」は、のどかな田園風景よりも殺風景な荒野や疎林を走っているイメージが私の中にはあります。
・・・当時の郊外というのは今より開発が進んでいなかったでしょうし、森林も伐りっぱなしの禿山が多かった(らしい)のであながち間違いでもない?
どこでも田んぼが作れるようになったのは、実は我々が思うより最近の事なのでしょう。



今回製作したのはIORI工房さん(http://iori.uji-masa.com/)の加悦鉄道ハブ3と明治村のハフ11
ここのペーパーキットは相変わらず渋いチョイスですw



紙で作る場合、私はまず全体にサフを吹き、乾いてから内板と外板を重ね、流し込みタイプのセメントで固定しています。
これだけでまぁまず剥がれることは無いと思います。
強度が必要な部分と四隅はアロンアルファを使用。こちらも染み込ませるように流し込んで固定。
瞬着を流した紙はかなり頑丈で、ヤスリで削ることも可能です。





ハブ3のデッキ部分も紙製!
瞬着を流して強度を確保しています。
・・・断面が丸ではなく、しかも太いんですがマァこれで十分満足。



床下も紙
3枚重ねにすることによって梁なども表現されています。
KATOのカプラーポケットがそのまま取り付けられるように設計されているのも良心的です。



レーザーカットによってすべて切抜き済ですからあっという間に組み立てることができます。



塗装はブドウ1号で
実車とは異なりますが、この手の車両は焦げ茶に白い標記という塗装が個人的に好みなので。



マッチ箱がだいぶ増えてきました(笑

下伊那の(怪しい)鉄分情報

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春です



(阿南町東條)
田んぼも始まりカエルの鳴き声があちこちから聞こえるようになりました。

今日も定番コースとなりつつある、下條~阿南~天龍~南信濃~上村という反時計回りの下伊那南東部ぐるっと一周をしてきました(笑)


天龍村の平岡駅に、昔の平岡を再現したジオラマが完成したというので寄り道してきました。



偶然にも飯田線秘境駅号がやってきました・・・



ジオラマはこんな感じ。貯木場が目立ちます。
よくある貸レみたいな感じ。
訪問時はテレビカーの試運転中でした。
・・・秘境駅号のお客さんが沢山w

ゆくゆくは有料で運転できるようになる(様な設備を作ってた)ので、これで時間も潰せる?




そして南信濃木沢の木造校舎へ
既に桜は完全に散っています・・・



校庭の隅には遠山森林鉄道のレールと資材が無造作に置かれています。

校舎内にも森林鉄道の資料を保管した教室が1つあり、写真や資材が展示されています。


これは連結器ですね。
他にもサビサビの部材が沢山置いてあるのですが、特に解説が無いので私にもわからない部品多数・・・(笑
工場裏を見るようで面白いです。



山へ生活物資(主に酒瓶w)を搭載して出発といったところでしょうか?
実に物語性のあるいい写真です。
・・・ミリタリーモデルのジオラマみたいと思うのは私だけ?

民間所有のモーターカーはボンゴ改のみだと思っていたのですが他にもあったのですね。
営林署の運行が終わった後も2両のモーターカーが稼働していたというのでそれでしょう。
「近藤」と付く業者は何という名前なんですかね?

機関車が描かれた大判の図面のコピーが置かれており、何気なくパラパラとめくったところ・・・



これはなんでしょう?
表題欄に「酒井工作所」と記されており、木曽のボギー式箱型DLの図面もあったことからメーカーの図面なのかなと思いますが。
酒井製のボギー式凸型DLというのは少なくとも長野営林署には納入されていません。
私の知る限り国内の林鉄にこのタイプは存在しないと思うのですが・・・

表題には「F-51型15噸機関車」とあります。
F型には1~5が存在し、さらにその後に数字で細かくタイプが分かれると本で読みました。
カタログには載っていたものの製造されなかった「幻の機関車」ということでしょうか?

木曽林鉄のE型貨車

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連休の初日
雪も解け天気も良かったので「幻の」などと枕詞の付く、王滝村の三浦ダムへ向かいました・・・

三浦ダムは昭和20年(!)完成の重力式コンクリートダムで、木曽林鉄ファンなら皆さんご存知かと思いますが、王滝村最奥部の滝越集落から更に8キロほど入った所にあります。

滝越から三浦ダムへは林鉄跡の道と尾根筋を走る林道の2ルートがありますが、マァ当然?林鉄跡を選びました。
・・・ただし、林鉄跡の道にはゲートがあり自動車は進入禁止です。



途中には林鉄の物と考えられるガーター橋が放ってあったり・・・



給水塔などが残っていたりします。
廃線跡なので勾配は緩く、ただひたすら8キロ弱の上り坂です。
沿線にはキロポストの様なプラカードがあり、残りの距離も掴み易く平易な道といえましょう。



だいたい予想通り三浦ダムに到着。
動物にも人にも落石にも遭わず(笑
・・・まぁ普通のダムです。とはいえ戦前に建設されたダムとしては2番目の高さがあるそうです。



道はそのまま堤頂へ。
ちょうどこの場所を木曽林鉄の水無線が走っていました。



さて、ここからが本題(笑
http://www.geocities.jp/rintetsu_club/leaving/leaving.html
こちらのページによれば「三浦ダムの堰堤の先の集材置場にE型貨車と小型貨車がある」とあります。

ただし、平成14年現在。

コレが現在どうなっているのかを調べに私は来たのですw

・・・正直もう無いだろうなと。
ガーター橋や給水塔などの鋼製コンクリ製の構造物と違って木造ですから。
でも、無い事を確認したかった訳です。

堤体より先の道は未舗装になり、突然低規格となります。
凍結融解によって粉々になった岩がサラサラと崩れるのが見えます。



コレ、時代劇とかで敵が上から襲ってくるシーンですね(笑

さて、進み始めて勘違いに気づきました。
私は早合点して「三浦ダム湖畔に集材置場がある」という認識だったのですが、どうもそれらしき平場すら無い・・・!
これは少し先になりそうだという事で地形図で確認・・・



堤体から4キロほど登ると他の林道に合流する箇所があり、
「自分が集材置場を作るならこのあたり!」
という判断でとりあえずここまで行くことにしました。
(結局赤丸地点に集材置場がありました)

・・・無いという事実を確認するのって思えば難しいです。
どこまで確認して「無い」と判断するのか?
でもそれらしい平場すら無いのではどうにも納得できません。



振り返れば御嶽山
・・・長野県内で御嶽山が東の方に見える地点というのもなかなか珍しいものです。
この雄大な景観を見ているのは自分ひとり。
山行きは自分と向き合う時間なのかもしれません。


さて、途中集材置場になりそうな平場は一カ所も無く合流地点へ・・・
平場が作れそうな一つ先の谷まで進んでみると・・・



確かに平場が・・・(地図赤丸地点)
恐らく排土した土を整地処分したのか、真新しい平場がありました。
プレハブを片付けたと思われる資材が積んであり、ここが目的地である可能性が非常に高いと思いました。

やはり「既に無かった」んだなと。
と思ったのですが・・・



!!!
雑木をブルで押し出した上にボロボロの木造構造物・・・



このカマボコ型の屋根はまさに木曽林鉄の車両ではありませんか!
どうやらプレハブ小屋は解体され、朽ち果てた木造の貨車はブルで一気に平場から押し出されたようです。
おかげてフレームと屋根は(それとわかる程度に)原形をとどめていました。





残念なのはつい最近作業した様子だったこと。
去年行っていればちゃんとそのままあったのではと思います。

しかし、元々存在しないと思っていた物を(破壊されていたものの)実見でき、思いのほか満足でした。


※林道の通行は落石や野生動物などの危険があり、自己責任です。三浦ダムより先はφ1m程度の落石があり通常の自動車では通行困難なので訪問はあまりおススメしません。

国産鉄道コレクション キハ07 その2

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今年の正月の記事「国産鉄道コレクション キハ07」が何故かよく見られているようで・・・
ちょっと検索してみたところ、当ブログがトップに出るではありませんか・・・!
公式を超えた!(笑

他にも美しく塗り替えられている方の作例もあるみたいですが・・・やはりあまり人気無いようで・・・




記事でいろいろ書いてましたので、取り急ぎN化してみました。



まずは分解
床板は接着剤固定なので慎重に剥がします・・・
なんと内装が表現されていました(笑)
窓ガラスがしょぼいので全く見えず勿体ない・・・無念

おまけに床板を止める接着剤のせいか、窓ガラス内側が白く曇っていました。
こちらは拭き取りで対応できました。

床下は使わずに、鉄コレの物を流用。



こんな感じで先端を丸くすれば幅は無加工でOK



側面窓の下部が干渉するため、下の突起部分をカットしました。



ヘッドライトは鉄コレから取ってきたものと交換
・・・お金をかける気はないw

簡単作業でひとまずレールを走るようになりました。
テールライトが無いのがイマイチですが、またの機会に。。。

草ヒロ

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果樹園と牧場の入り混じる丘の上
どういう訳かたくさんの草ヒロが・・・

そのなかでもちょっと珍しい2台を。
・・・かなり前から見つけていたのですが今週末改めて見てきました。





初代 ダットサンキャブスター1300(1970~1973年)

まだ「ダットサン」ブランドだった初代キャブスターです。
前輪を思い切り前に出したスタイルがちょっと特徴的です。

この車は珍しいパネルバンで、後ろの観音開きの扉がレトロな感じです。






こちらは初代 三菱デリカバン(1969~1971年)

初代デリカの中でもテールランプが横型になっている初期のタイプです。
大きなまるいヘッドライトが可愛らしいのですが、残念ながら見えません・・・


どちらも同じ年代の同クラスの商用車ですが、キャブスターの方はカクカクした、デリカは丸みのあるデザインになっています。
・・・現行のハイエース・キャラバンとは大違い??(笑
もっとも、この代のデリカはマツダのボンゴそっくりなんですけどね

新潟交通のモワ51をつくる その1

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鉄道模型市にて入手のイエロートレイン製の新潟交通モワのキット
・・・かなり前の物ですね。
鉄コレの「タイプ」があまりに似ていないので、いつか作ろうと思っていたので購入。
勢いで着工しました(笑


新潟交通のモワ51は1933年、新潟交通の開業時に用意された電動貨車。
機関車の無い新潟交通では貨物列車の牽引や、除雪車を押すのに使われました。
1999年の廃止時まで除雪用に残され、今でも月潟駅構内に保存されています。

東関屋駅に黒いラッセル車と連結して置かれていたのが印象的でした。




購入した時点で前面は瞬着で組立済でしたので、側面も瞬着で組み立てていきます。
使用するのは耐衝撃用のアロンアルファ
接着面はヤスリで磨いておきます。



ダブルクリップで挟んで固定。
コイツは挟む力もあり、ハンダの熱もへっちゃらなので重宝しています。
・・・フラックスでボロボロになりますが安いので壊れれば交換すればよしw



今回は調子が出ていたので?手摺を取り付けてみました。
0.3ミリの真鍮線ですが少し太かったようです・・・




動力は手持ちを色々漁った結果、贅沢にもコレにしようかなと
鉄コレ12m級だと少し長め(したがって鉄コレのモワ51も長いです)で、更に幅を詰めるのがとても大変そう・・・
というのが理由です。
ワールドの東芝戦時型用は台車間隔が少し短いですが、カプラーのスペースを考えればこの位かなと。
勿論性能は申し分なし!



ちなみに鉄コレと比べるとこんな感じ。
長さも幅も過大です・・・



屋根にはGMの都電の物を使用。幅がぴったり。
オデコ部分は適当な端材を重ねています。


つづく

千頭森林鉄道の保存車(寸又峡)

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東にそびえる南アルプスの向こう側を流れる静岡県の大井川
その上流にもかつて森林鉄道がありました。

「秘湯」で有名?な寸又峡温泉も通っており、温泉駐車場には車両が保存されています。
せっかくの機会なので道草して観察しました。



保存されているのは協三工業製DL+岩崎レール製客車+運材台車(メーカー確認せず)です。
運材台車以外には屋根が架かっていますが保存状態は良くないです。
・・・メインの駐車場脇とあって清掃等は行われているようですが、修繕・レストア等を行うには不便な所なので中々難しいのでしょう。



協三の機関車
木曽とは違って屋根にタンクを背負っているのがいいですね。
窓ガラスはすべて失われ、エンジンカバーも無い状態です。
・・・おかげで機関部が良く観察できます。
扉も開いており(というか歪んで閉まらない)、キャブへの立ち入りも可能です。



モノコック構造の台車
現役時代の写真を見る限り、昭和43年の廃止の頃はほとんど全てこのタイプの台車だったみたいです。
富士重工製でしょうかね?





最後に客車
岩崎レール製のもので、現在丸瀬布にある客車によく似ています。
ただしこちらは扉が片側1カ所で、寸法も長さ5200mm、幅1570mmと一回り小さいです。
木曽のB型客車より車体幅が狭いのは車両限界の関係でしょうかね?

殆どの窓が無い無残な状態ですが、実は多くの窓が開いた状態でした・・・
降下式の窓枠が劣化して自然に落ち込んだのか、閉められない状態です。

車体裾部に15㎝の帯材が巻いてあるのが他にはない特徴です。
が、この部分は真っ先に穴が開く部分なので、補修で取り付けられたのか、元々あったのかは不明・・・
現役時代の写真を見た事が無いので何とも分かりません。



台車にも特徴があり、運材台車の流用でもアーチバー台車でもない、立派?なものを履いています。

以上、モデラー視点から見た保存車両たちでした。

遠山森林鉄道を偲ぶ(便が島・西沢渡編)

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最近晴天が続き、降雨量は平年の2割・・・ここまで来るとちょっと困ったものですね。(飯田市上村下栗)
とはいえ趣味人にとっては散歩日和
昨年は災害により近づけなかった遠山林鉄の奥部へ足を運んでみました。



去年は北又渡発電所より先に進めない状態でしたが、今年は問題なく?車両通行可能です
・・・また崩れないことを祈る(笑



初めて知ったのですが、ここから先は多くの区間が未舗装です。
林鉄同様wセカンドでグイグイ登っていきます。



新緑の遠山川
赤石岳の由来?でもある赤い石が目立ちます。



途中仏島にある小さい2つの沢を越える橋は林鉄用のレールを組み合わせて作られていました。
とても短いものですが、この道にある遺構はこの程度と思われます。



便が島手前には堰堤があり、クレーンが道一杯に作業中・・・だったので手前で車を停め、徒歩で便が島に入りました。


(保存会発行のシート?より)

便が島は他と比べて少しなだらかな場所で、この場所で林鉄は幾重にも切り替えして一気に80m程登っていたようです。
現在では図のように駐車場とキャンプ場が置かれ、地形がだいぶ変わっています。
しかしながらキャンプ場より先は一般車通行止めの遊歩道になっており、面影が結構残っています。



そして最後のヘアピンに潜んでいるのがこれ







林鉄当時の物と思われる木橋です。
この区間は遊歩道がR=5mくらいの急カーブでショートカットしていて使われていません。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nyunta/haisen/tooyama/

こちらのサイトに詳しい解説がありますが、写真を見比べると崩壊が進んでいるようです。
谷底に落っこちる日も近いのかもしれません・・・



こちらは最上部のトンネル。
北又渡~便が島間にもトンネルが1カ所ありますが軌道撤去後に改修されているようで、これよりもかなり大きい断面になっています。

ここから終点の西沢渡までは徒歩で数十分
ゆっくり歩いても1時間ほど
軌道跡であり、勾配も一定なので気軽なハイキングです。





比較的新しい崩壊地を越えれば西沢渡です。
唐突に軌道は終わります。







終点には小さなターンテーブルと標語が書かれた標柱が放置されていました。
ターンテーブルの直径は1.5m
小型モーターカー用でしょうか?

軌道関係の遺構はこれだけで、他に沢を越えたすぐ先に営林署の小屋が残されているそうです。
南アルプスは聖岳のお膝元、すべてのモノが自然に包まれていきます。
やがてここを走っていた軌道の痕跡も、そこにいた人々の記憶も過去の彼方に消え去ることでしょう。

新潟交通のモワ51をつくる その2

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最近あまり模型をいじっておらず、進んでいませんが・・・
まぁ、趣味なのでやりたい時にやるのが一番いいハズです。



屋根板はGMの都電キットの物を使用し、前後はプラ板の端材を組み合わせました。
ヤスリを使って好みの形に整形します。
あまり調子に乗って雨樋まで削らないように注意(笑



扉の上にある水切りはランナー伸ばし棒で表現。
適当にカットし、カーブを付けてからサラサラタイプのセメントで接着し、形を整えました。



屋上機器もそれらしく・・・
パンタはGM、避雷器はモデモの部品です。
・・・パンタはPT42を使っていますが、実際はちょっと形が違います。



今回は調子に乗って配管もやりました。
・・・編成物に施工する元気は無いですが、こんな小型車1両であれば1時間足らずでできます。
結構歪んでいますが(汗




ちなみに、瞬着を流すのに今までは爪楊枝を使っていましたが、今回ツイッターに紹介されていた方法を試してみました。
0.5ミリの真鍮線を適当なシャーペンに入れて使います。
爪楊枝だと接着剤が先に付いてくると削るか替えるか必要ですが、コレなら簡単に除去できます。

新潟交通のモワ51をつくる その3

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車体がだいぶできてきたので床下を。



動力は鉄コレのクモル用です。(その1でなんか違う事を書いていますが気にしない・・・
東芝戦時型のは日車D型にはWBが少し短いです。



クモル動力は幅も長さも縮めなければなりませんので、とりあえず分解。
さすがは鉄コレ動力、簡単に分解できました。



床板はプラなのでカッターで幅詰め、短縮。
セメントで接着出来ました。



続いて集電板も短縮。
中間が絶縁してありますので、これを繋ぐためヤスリで黒いコートを剥がします。



金属板(ジャンク品の集電板です)を適当なサイズに切断し、集電板に当たるように接着。



そのままでは浮いてしまいうまく通電しなかったので、真ん中をネジとナットで押さえて固定。
素直にハンダ付けした方が早いかもしれません(笑



ウエイトは付属していた物を縦に2個重ねています。

走行性能は良好。いよいよ仕上げにとりかかります。

新潟交通のモワ51をつくる その4

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いよいよ塗装です。
今回はクレオスの新しいプライマーを使用してみました。
・・・以前より強力というハナシですが。

ぶっちゃけ前のでもあまり不自由しなかったのですが・・・
やはり塗装前にしっかりと汚れを落とすのに尽きます。
私の場合はクレンザーを馬毛ブラシに付けてゴシゴシと
細かすぎて擦るのが不安な場合はブラスクリンを使っています。

新しいプライマーは、ニオイが違います(笑
それから、パンタの可動部分のハゲが少なくなりました。
確かに前より強力みたいです。
※感想には個人差がありますw



いきなり塗装完成(笑
手摺類は真鍮線で作製しましたが、荷物扉の取っ手はランナー伸ばし棒を刻んで貼り付けています。
サフを吹いた後にサラサラタイプのセメントで固定すればしっかりとキレイに付きます。
色は混色した黄色とGM25番・・・25番はあまり似ていないのでおススメしません・・・

排障器は付けずに晩年をイメージ。
ただし最晩年は「荷物」表示と保護棒は無いですがこれはぜひ欲しいので表現しています。





こんな形でひとまず完成です。
荷物電車にしては小奇麗にまとまった雰囲気が良く出ているかと。
車体より広い台車やウェザリングなど、少しいじりたい箇所もありますが・・・汗

赤沢林鉄に乗る

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この週末はとても暑い。
今までの雨降りが嘘のよう・・・

避暑のため木曽へ向かいました(笑



道中いつも気になるキャロルとフェロー。


赤沢の入り口、上松に新登場の保存車両。



上松のヤード跡にある上松電子さんに保存されたDL+運材台車+B型客車。
最近県外からやってきてピカピカの状態です。
DLはエンジンフードを外してレストア中?でした。今後が楽しみ!

上松駅からも良く見えます。



その入り口の道路橋の脇には林鉄の鉄橋が・・・!
反対側にも1本あり、なかなか壮観です。
コンクリート橋は段差がありますが、こういう設計のようです・・・なんでかな?




赤沢休養林は林鉄の乗車体験が有名ですが、乗り場に資料館も併設されており貴重な車両が保管されています。
庫内には湘南顔のDLとボギー式DL、C型客車「貴賓車」と小型モーターカー
庫外のヒサシの下には大型モーターカーと床屋が置かれています。



床屋の車内を窓から覗いたところ。そのままの状態のようです。

早くに行くと空いていておススメです。





現役の車両の修繕のための道具も置かれており、半分生きたような雰囲気
アメリカ・ボールドウィン製のSLも毎日庫から出し入れするなど素晴らしい状態に保たれています。





庫外の本線に繋がる線路には運材台車が2組・・・保線用でしょうか?
それにかつて使われていた酒井製DLが置かれています。

そして無造作に置かれているカブース・・・
他にタンク車のタンクなどが置いてあります。
・・・スペースの問題もあるのでしょうがキレイにならないかな?



林鉄は駆け足程度のゆっくりした足取りで丸山渡へ向かいます。
・・・ちょうどビールが飲みたくなる感じですw





折り返し地点の丸山渡にも現役時代の車両が・・・
C型客車とタンク車、ホッパ車とDLが2両。
昨年は普通に見る事が出来たのですが、今年はDLにシートが被されています。



去年と比べると謎のシートを被った貨車とDLの順番が入れ替わっているようです・・・
この辺もキレイにしてほしいな。

汽車製DL復活作業その1

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台風が去り、夏がやってきたようです。
・・・最近梅雨が物足りない気がするけど・・・?



さて、入手後長らく封印されていた安達製作所さんの汽車製DL
コイツを再生します。



まずは塗装を剥離。
エナメル塗料筆塗り!だったようで簡単に剥がれました。





ブラスクリンで洗浄し、ハンダを追加で流して補強!
と思ったら、フレームは元のハンダが殆ど付いておらずバラバラに・・・
結局ほぼ組みなおしています。



ロッドは片方折れていたのでお取り寄せ。
車体も各部ハンダが取れている箇所を補修です。



キャブの角はヤスリで落とし、実車同様丸みを付けます。
・・・ハンダをきちんと流さないとうまくいかないので注意です。





前面のメタルは傷が入っていたので瞬着を盛って補修しました。

汽車製DL復活作業その2(完成)

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天気が良すぎて外に出るのが億劫でw
工作しました。



アダチのロッド式DL
16番では初体験?の位相合わせです。
きちっとした治具がいるかなと思ったのですが、3つだけなので何とか目分量で仕立てました。



そしていきなり塗装w
・・・塗装の前にちゃんと仮組みして試走してますよ
いつも通り絵が無いだけですw
下回りはGMの黒、車体はクレオスの濃緑色(三菱系)です。
元々緑色だったので緑で復元してみました。
・・・こうしてみると地方私鉄っぽくもあります。

手摺は白くしてアクセントとしています。
窓枠はエナメル系を筆塗り。
はみ出したら筆に薄め液を付け、ティッシュで拭きとってからはみ出た部分をこするとキレイに除去できます。





そんな感じで西日が射す頃に完成。
ナンバー類はエコーのものです。
・・・この後窓とカプラーを付けていますがw

紙製小型ガソリンカーの製作2

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ずいぶん間が開きました・・・汗

ブログを遡ってみれば作り始めたのは1月のようです。
こうして日記をつけると備忘録にもなりますね。



4両のうち1両の屋根を貼り付け
屋根はGMの新性能電車を唐竹割りして使用しました。
・・・雨宮製ガソリンカーの特徴である薄い屋根は整形が難しいです。





雨どいとシルヘッダーも紙を細く切り出して貼り付けています。
・・・曲がらないように慎重に。



ドア下の蹴込みも簡単に表現。


さて、このグループで最後まで残った(と思われる)蒲原鉄道のハ2について調べていたところ、入線時はクハ1を名乗り制御車だったとのこと。
2軸のクハってかなり珍しいのでは?
・・・2軸ガソ改造クハ・・・かなり興味ありますw

この車両が気動車になるか客車になるか制御車になるか・・・私もまだわかりません(笑

紙製小型ガソリンカーの製作3

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工事再開の雨宮ガソ
コツコツ進めます。



車体は前回は茶色でしたが、一つ細かい1200番のグレーのサフで仕上げ。
灰色になり、ディテールがよりわかりやすくなっています。



床下は、車体と同じケント紙二枚重ねで製作。
単台車は鉄コレ第2弾の貨車を利用しました。
・・・エッチングのものもあったのですが、カトーのスポーク車輪を使いたいためプラ製としています。



床下機器もそれらしく取付け。
・・・結局クハとして整備することにしました。



クハなので、運転台側の連結器はダミーです。
テールライトと連結器まわりは鉄コレ北鉄キハのバケットから流用です。
解放テコは金属キットの余りもの。


続いて内装の製作。
最近電動車以外には内装も簡単ながら表現しています。
・・・ほとんど見えないのですが、「模型を作る」のが趣味ならある程度は作ろうかなと。
ミリタリーモデルの世界では、完成するとほぼ見えない(笑)エンジンや室内を表現する方もいらっしゃいます。
・・・見えないけれども、持った時のずっしり感と自己満足がいいんだそう。



用意するのはプラ板の端材と動力化で余った鉄コレの床板。
座席をちょうどのサイズに切り出し、茶色く塗ったプラ板に張り付ければOKです。
肘掛と運転台仕切りは筆塗りで塗装してみました。



これだけでも「作った」という満足感が得られます(笑
・・・あ、ヘッドライトにはモデモの江ノ電100の物を流用しました。
ステーは鉄コレのライトから切り出して接着。
銀河や鉄コレのものより一回り小さいです。



車体を被せるとこんな見え方。
赤い座席と運転台仕切りが良い感じになっています。

紙製小型ガソリンカーの製作4(1両目完)

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引き続きペーパー工作・・・
といっても仕上げの塗装です。

色々調べてみたのですが、クハ1がいた頃の蒲原鉄道(S17~24年ごろ)の塗装は茶色一色。
しかし単色塗りは余り面白みがない・・・

ということで、
http://rail-100.la.coocan.jp/50lost/7910114.htm
こちらを参考に、茶色とクリームのツートンにしてみました。
・・・末期のハ2(←クハ1)は蒲原鉄道晩年の塗装である黄色+茶色ですが、経年により黄色が退色してクリームっぽくなっているようです。
・・・そういえば全廃の頃のモハ12もこんな色でした。



という訳で、クレオスのタンと艦底色で塗装。
これで我が家のフリーランス電鉄の電車の塗装とお揃いです。
標記はキッチンさんのインレタから拾っています。


最後に内装をちょっと追加



薄っぺらい紙を赤く塗り・・・



窓下に張り付けます。木工ボンドとか糊でOKでしょう。



簡易に背もたれを表現しました。



窓セルを貼るとセルが見えて微妙といえば微妙ですが・・・まぁこの辺でやめておきましょう(笑



ケント紙で作るガソリンカー、1両目はクハとして竣工しました。
まだ屋根を作る前の状態のがいくつかあるので、まだまだシリーズは続く?(笑



終点のバス車庫

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下栗の里で有名な?遠山郷の中心部、南信濃和田にある信南交通の和田営業所
ここからは飯田駅行きと平岡駅行きのバスが発着します。
訪れたのは日曜日・・・休日は飯田~和田が2往復のみで和田~平岡はタクシーで運行するため閑散としていました。
・・・といっても平日も2路線合わせて5往復なのであまり変わりはありません(笑

遠山谷の中心地なだけあり?バス3台を収容できる比較的大きめな車庫です。



ただし奥行きは殆ど無く、中型以上ははみ出すような感じです(笑



この車庫の特徴は丸太が多用されている事
山の中らしく、角材より一般的だったのでしょうか(笑



梁はこんな感じで太い電柱ほどの丸太材を器用に継いで使っています。


・・・作ってみたい建物の1つを紹介しました。

蒲原鉄道の今を見に行く

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1999年に廃止された蒲原鉄道
かつては新潟県の五泉と加茂を結んでいましたが、最後は五泉~今泉~村松という4キロ余りのミニ路線になっていました。

今回思い立ったが吉日ということで?その保存車両を訪ねました。



まずは冬鳥越スキーガーデンへ
村松~加茂の峠越え部分にあたり、冬鳥越駅のあった場所?に3両が保存してあります。





まずは私の一番見たかったモハ1
1923年の五泉~村松間先行開業時に用意された木造の小型電車で、東急(前身の目黒蒲田電鉄)最初の電車にソックリです。
しかし両者は異なるメーカーの手のもので、こちらは「蒲田車両製造」というメーカーのコピー品です。
・・・社名からして、蒲田に来ていた目黒蒲田電鉄の電車を「参考」にしたのでしょうか?(笑
東急のは側窓が10個連続していますが、こちらは3・4・3に分かれているのが特徴です。
・・・わざわざ太い窓柱の両脇の窓を細くしてあるのですが、なぜこういう割付なのかは不明ですw

同型が2両(デ1とデ2)あり、1952年にデ1がモハ31に改造(名義の部品流用の新製)されるとデ2がモハ1になってます。
残った方も1954年にモハ51に改造されて廃車になり、2車体とも物置になったようなのですが、ここにあるのがそのどちらなのでしょうか?
ちなみにデからモハになった時期も不明ですのであまり参考にならないかと思います・・・

倉庫というか建物と一体化していた時代に見た事があり今回再会しましたが、正直良く直したなと。
他の部品はゴチャゴチャと車庫に置かれていた物を利用したのでしょうか?

ここで車庫の奥に置かれていたこのブリル台車はナニモノなのかとちょっと考えましたが・・・
モハ31が1952年にこの電車の部品を使って製造される際、台車は重量に耐えられないのでモハ21のものと交換していると何かで読んだ記憶がありますので、モハ1→モハ21のものと考えて良さそうです。
モーターは付いておらず、床下機器も不足していますが雰囲気は十分です。

屋根を見ると真ん中がやや沈んでいるように見え、横から見ると車体中央がわずかに膨らんでいました。
・・・雪国で、鋼製ならまだしも木造車を屋根なしで保存するのはやはり大変かもしれません。



隣に置かれているモハ61
元は西武の電車で、1999年まで活躍しました。
こうしてみると国鉄型の台車を履いていたり、結構重厚な電車です。



こちらは唯一の電気機関車だったED1
現在おなじ場所に保存されています。
全国各地にある米・ウエスチングハウス製の凸ELそっくりですが、これも日本車両のコピー品です。



続いて村松駅へ



蒲原鉄道の本社があり、車庫も置かれていました。
本社屋と駅舎を兼ねる建物は当時のまま。バスターミナルもそのままになっています。
・・・ただ、バスターミナルはかなり縮められ、建物側がわずかに残るのみです。



鉄道用地の大部分は砕石の敷かれた空地になっています。
奥の車庫があった部分にはローソンをはじめ3軒の店舗があり現在も営業しています。



この建物は昔もあったはず。確か変電所でしたか?



店舗裏の空間
現役時代はここに廃貨車やモハ12などが押し込まれていましたね。
廃止後ここにモハ31とED1が保存されました。
しかし2008年に撤去、ED1は移設されたもののモハ31はこの場で解体された模様です。



朽ちた犬釘





村松駅近くの村松城址公園に保存のモハ11
1930年の全線開通時に用意された3両のうちの1両で、部分廃止後にこの場所に保存されました。
1999年と比べると屋根が架けられましたが、相変わらずライトレンズなどは失われています。
木製部品の傷みが進んでおり、窓ガラスも多くが入っておらず、裏から塩ビ?板を当てています。





続いて磐越道安田インター近くの安田民俗資料館のモハ51
先のモハ11と同型ですが、これはモハ13の車体とモハ1の主要機器を組み合わせたから。
でもモハ1改造の名義になっています。モハ13はモハ41に改造された扱いになっています。

資料館は旧蒲原鉄道本社の建物を移築したものだったり駅名標がたくさん置いてありますが、もう長い事営業していないようで荒廃が進んでいます。



隣には日産パトロールの消防車。

資料館内にどのようなものが収蔵されているのか知る由もありませんが・・・
こうした資料が腐朽し失われてしまって良いのでしょうか?
雑駁ではあるがガラクタではないと思うのですが。





最後に五泉高校向かいの体育館に保存されているモハ41。
モハ13の改造名義で作られた車両で、1999年まで現役で使用されました。



車体のわりに非常に小さい台車は元々上のモハ51がモハ13時代に履いていたもの。



公開時間より早かったのですが車内に入る事が出来ました(汗
立ち入ると木の床からのどこか懐かしい香り。
今一度、こんな電車でどこかへ行きたいものです。


改めてまとめてみると、この鉄道は車両が少なめながら改造や転用が非常に複雑・・・そこも魅力ですね。
しかもこれだけの両数が保存されている会社もなかなか珍しいですね。


以上、2015年現在の保存車の現況でした。
※他に県外に蒲原鉄道の木造貨車が保存されています。

自由形ナローの製作1

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長雨で塗装できずにいましたがようやく完成。



鉄道模型市で入手したスタジオHOさんの「ゆるーい鉄道模型」シリーズのバス窓客車タイプです。
切抜き済みペーパーキットで、屋根板と床板付で2000円也

屋根に切削性の良いMDF板を採用しているのがここの特徴です。
・・・要は木材の繊維を合成樹脂で固めたようなもので、木目などが無い合板です。
普通の木材で屋根を作ったことが無いので「コレは特に良い!」かどうか分からないのが残念ですw


木製屋根は初めてなので、練習にと素組してみました。



サフ(1000番くらい)を吹いて内板と外板をセメントの流し込みタイプで接着。
いつも通り角は瞬着を盛って加工しています。



屋根板は木工ボンドで接着。
上にスプレー缶を置いて重しとし、一日置けばガッチリ固まります。




いよいよ醍醐味?の屋根の切削
まずは120番の紙ヤスリを板に巻き付けて削りました。
・・・通常の模型工作には使わない粗い目ですが、細かいものでやり始めると削り足りず、肩だけカーブがついて屋根の上の方が真平らということになりかねません(笑)
今回は多少ヒネクレて?切妻にしています。切妻にするには屋根がもうちょっと深い方が良いかもしれません。



最終的に600番のヤスリで全体を車体の凹凸も無くすように全体を磨き、



500番のサフを屋根に吹いてまた600番と1000番のヤスリで磨き上げました。
最後に1200番のサフを吹いて塗装にかかります・・・




その前に床下を製作。
キットには木の床板が付属しますが、台車をどう取り付けるか悩んだのでプラ板で新規に作りました。
0.5ミリのプラ板を適当なサイズに切り出し、GM床板の台車受けの部分を移植するのみです。
台車はGM製の余っているヤツ。最終的には当分使いそうにないTR50としました。




いつも通り塗装中の写真は無し!(汗)
GMの28番を缶スプレーで塗装、Mrカラーのレッドブラウンをエアブラシで吹いてとツートンにしました。
ベンチレータはこれまた使いそうにないGMの箱型。
・・・スケールが違ってもあまり違和感ないです。



心配していた木製屋根の継目処理もまぁだいたいうまくいっています。
ドア上につけた水切りもなかなか効果的かなと自画自賛。

さて、客車だけではナンなので・・・電車でも作ろうか
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