とても久しぶりに鉄道以外の「道」ネタです。
引越し以来ずっと通ってみたかった善光寺道(北国街道西脇往還)を自転車で通行しました。
北国街道西(脇)往還は中仙道の洗馬(塩尻市)から松本市、筑北村、麻績村を経由して長野市善光寺までの街道
善光寺への参詣者の他、長野~松本の物資の輸送路として栄えました。
松本を朝出発し信大のある旭町を通過、北上すると岡田宿
山が迫ります。
・・・話がそれるけど、戦前旭町で生まれた祖母が
「山の方から丸太を積んだ馬車が定期的に下りてきて、主人は近くの飲み屋で飲んだ後馬車の荷台で寝てしまう。それで主人を積んだ馬車は勝手に帰っていく」
という話をしていたけど、それってきっと岡田あたりの人なんだろうなぁ。。。
岡田宿では保福寺峠を通って上田へ抜ける「江戸街道」が分岐します。
・・・というかこちらがメインルートですねきっと。
こちらは現代でいえば国道254号線、三才山トンネルのルートが概ね重なります。
分岐点には道標の石塔があります。
善光寺道は集落はずれのため池を過ぎて更に北上・・・
すると分岐が
左へ逸れて登る道は馬飼峠といって、明治期に新設された荷車を通せる車道とのこと。
「全国初の有料道路」と書かれているが、この前年に静岡県の東海道で金を取って通した峠があるのでコレは誤りと思う。
近世にも通行料の必要な道はあったようですし。
・・・が、翌年という事で非常に貴重!今度通ってみようと思います。
刈谷原峠は急峻、と書いてあるだけあって自転車を押して通るにはキビシイ坂道・・・
が、私が一番訪れたかった場所が!
今となっては特別なんでもない急坂の途中のちょっと開けた場所でした。
ここには「商人石」という伝説上?の石があったようです。
松本の物価が高い時はうず高く積まれ、物価が下がれば低くなる
いかにも商業都市松本らしい言い伝えではないでしょうか?
・・・多分実在していて、実情はケルンのようなもので松本を出た行商人が同業者に向けたメッセージのような形で積んだものではないでしょうか?
・・・無人となった峠道には今は積む人もなく、昔日の旅人が小休止しただろう空間だけが残されています。
道中には馬頭観音などの石仏がたくさん安置されています。
旧街道では特に難所に多く置かれています。
馬頭観音は本来の意味を逸れ、日本では交通の神様として、行き倒れた駄馬の供養として設置されています。
風が強くなりもうすぐ峠!
と思ったら
!!!
まさかの倒木w
丁度ゴール地点がまさかの閉鎖でしたが無事刈谷原峠に到着
視界はゼロですが、ちょっと広い空間があります。
・・・ちなみに、四賀側からは最近(前日?)車が来たようで、雪にタイヤ跡がありました。
ということで、刈谷原峠は倒木が無ければ自動車で通過が可能なようです。
北側斜面という事で雪も残り、お地蔵さんも寒そう。
・・・あとはひたすら降りて松本市四賀(旧四賀村)へ
最後に会田宿にあった面白物件
会田宿入口の道祖神ですが
超細いw
宿場に着いたので今回はここまで。。。 (つづく)