善光寺街道の続き
四賀の会田宿は坂の宿場
宿場の中からすでに峠道が始まっています・・・
四賀と坂北の境に位置するのが立峠
善光寺道で最大の難所だったようです。
一番上の立派なお屋敷。
集落は終わり、立峠に向かいます。
途中にあった道標
「左 善光寺近道」とあり、気になるも山止め(入山禁止)の看板が・・・
途中のお堂?付近の馬頭観音
この手の物は地元の方々の素朴な作品が多いのですが、これは非常に立派。
精巧なので一見の価値アリです(その割写真が適当w
ここから立峠は車道を離れて山をほぼ直登!
なので、自転車の私はアッサリ断念・・・車道を登る事にしました。
立峠は自動車の通れない昔ながらの道ですが、東の花川原峠は改良されて林道に
・・・林道にしては自転車をこいで登れる程度の勾配。ヘアピンカーブが連続します。
花川原峠に到着
小さな切通しのある普通の峠です。
私が山に行った時のお約束であるジャムパンを食べながら付近を観察・・・
?「石まんぼう」とは・・・
峠には城址入口とこの石まんぼうと書かれた2本の白い標柱が立っています。
が、特に解説が無いので何の事だかよく分かりません(笑
たぶん切り通しの片側の岩の事だと思うけど・・・「まんぼう」には見えないなと。
ちょっと気になったのでジャムパンを食べつつ裏に回ると・・・
!!!!
これが「まんぼう」
解説が無いので不明ですが、おそらく旧道のトンネルでこれが石まんぼうなのでしょう。
明らかに人工的に掘られたトンネルですが、被りがほとんどありません。
トンネルになっているのは長く見ても4mほど・・・
切り通しにしなかったのが不思議な感じ。
壁面上部に今でいうところの扁額のようなものが掘られています。
・・・達筆すぎて読めませんw
後述の、青柳の切り通しにも同じような意匠のものがあるので、似た時代に掘られたものかも。
・・・とすると明治以前の施工かもしれません。
反対の坂北側
急な九十九折れを登った所にこの隧道が聳えています。
・・・そこそこ急ですが道幅も広く、荷車の通行を考えた設計になっている道です。
おそらく立峠のバイパスとして建設されたのでしょう。
「当県上水内郡」と書かれた落書き?
隧道壁面にはよく見ると無数の落書きが。
「東京」「大阪」「山形県(村ではない!)」などと書かれており、ここに遠方からの通行者があったことが分かります。
年代が分かる記述は読み取れなかったのですが、すべて旧字で墨書きされていることから、少なくとも戦前の物と思います。
・・・まさか「石まんぼう」を見に遥々来たとは思えないwので、たぶんその頃まではメインルートとしてこの道が使われていたんだと。
帰宅後調べると「まんぼう」とは横穴の事で、このトンネルを石まんぼうと呼ぶという事でした。
また立峠付近には炭鉱があり、石炭を索道で輸送した記録がある事から、もしかすると花川原峠を通って輸送した時代もあったのかもしれません。
異様に緩やかな花川原峠もその際の改良なのかも・・・
などなど、まだまだ散策のし甲斐がありそうです。
峠を降りると現代の「まんぼう」高速の立峠トンネルの脇を通過しました。
つづく