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Channel: 工場長の製作日誌
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昭和41年の遠山森林鉄道へ行く

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今回の記事は少し毛色を変えて・・・

最近ツイッター界隈でなにやら面白そうなものが。
http://colorize.dev.kaisou.misosi.ru/
グレースケールの画像をカラーに変換するプログラムが出来たようです。
仕組みはよく分かりませんがw上記のサービスで試すことが出来ます。

これはと思い試してみたのですが、緑がとても上手く出て驚きました。
今まで想像するしかなかった「色」がなんとなく、いやかなり実感的に味わう事が出来て素晴らしいと思います。


そんなわけで、手元にあった白黒写真を変換してみました。
使った資料は、
「遠山川水系写真綴
天竜川水系総合開発事務所」
「中部電力KKによる地表地質調査」
期日 昭和41年7月1日~7月6日
などとある写真綴り。
ただし、せっかくの機会なので、手持ちのこの期日以外に撮影された写真も紹介します。
廃棄処分の資料から拾ってきたものです(笑

昔日の遠山郷へ行ってみましょう!






旅の始まりは赤石林道
・・・赤石林道は昭和43年に飯田と遠山谷を直結する唯一の自動車道として開通しました。
それ以前は天龍村平岡まで天竜川沿いに下り、遠山川沿いに上って行きました。
それより昔の「小川路峠」は「登り半日、下り半日」といって丸一日かけて越していったようです。
赤石林道はこれのやや北を通るルートで、昔は「新小川路峠」とか言ったようです。



峠にあるトンネルもピカピカです。

・・・今では矢筈トンネルが開通し、この道を通る人はほぼいなくなりました。



遠山森林鉄道の起点、梨元の河川合流地点へ向かいましょう。





上村川と遠山川が合流します。
ここから昭和41年7月の写真です。
下の写真の左端の白いクラウンが停められている道が現在の国道152です。

真ん中になにやら木材?を組んだヤグラの様なものがありますが、他の資料で確認したところ林鉄上に索道が架かっており、その覆いのようです。
林鉄は覆いの左の鉄橋を渡り、遠山川沿いに上って行きます。
更に右側に建物が写っていますが、南信州新聞社の「遠山」によれば、ここは民間の土場があったという事になっています。後年の写真には建物が無いのでこの後取り壊されたのかもしれません。



振り返って撮ったと思われる堰
これは今でもそのままの姿で残っています。



林鉄沿いに山に入っていき「須沢ダムサイト」
昭和41年というと、北又渡に巨大な砂防ダムを建設する工事が始まった年で、このほかにも複数のダムが検討されていたものと思われます。
左上の斜面には須沢~下栗へ続く集落とジグザグ道が写っています。
この川底を遠山森林鉄道が走っていました。



こちらは場所が不明・・・ですが、おそらく先ほどの須沢ダムサイトを上流から見たところだと思います。
軌道上から撮影したものと思われ、右側にはレールが見えます。



少し進むと「柿ノ島ダムサイト」
下の吊り橋は柿ノ島の吊り橋だと思います。
橋の袂の道の様な川沿いの筋が軌道敷で、写真の手前に柿ノ島の側線があると思います。
・・・写ってなくて残念。



そして北又渡に到着。
この写真奥のV字谷に巨大な砂防ダムが建造されました。
切りつがれた写真の真ん中部分に千切れたレールがあります。



今回唯一車両が写った写真です。
DL+客車+客車の編成が奥の鉄橋を渡っています。
北又渡で撮影と思われ、大沢渡への線路の鉄橋と思われます。

最後は大沢渡



一番大きな建物が製品事業所
写真奥が下流のようです。
一番手前の長細い小屋は軌道上にあるようで、手前に車両がいるように見えるのは気のせいでしょうか?




今回の写真群は偶然手元にあり、このまま秘蔵し埋没してしまうのもアレですのでこの場に公開することとしたものです。
何かの参考となれば非常に幸いです。

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