Quantcast
Channel: 工場長の製作日誌
Viewing all 313 articles
Browse latest View live

索道(あるいはケーブルクレーン)

$
0
0


今日は遠山郷へお散歩。
陽だまりでは梅がもうかなり開いていました。



さて、久しぶりに国道を飛ばしていると、脇に集材置き場が出来ていました。
どうやら上村川の対岸の山から丸太を降ろしているようです。



そこには昔ながらの丸太で組んだ支柱の索道が。
資材を持ち込むのが大変な山奥はどうか分かりませんが、今時丸太のタワーは珍しいと思いちょっと観察。
林鉄ジオラマを作ろうという方、参考にどうぞw





ワイヤーを支えるアンカー(一番手前)は、1m×1m×1mの穴を掘って丸太を三本束ねて埋め込んで作られています。
・・・工事用の場合なので林業用ではちょっと違うかも?

ブルーシートを被っているのがウインチ
やはり丸太を並べた盤台に載せられています。


全てその場にある丸太を使用し、現場が終われば索道に使ったものも丸太として売ってしまう訳ですね。

遠山に行ってきた

$
0
0


昨日に引き続いて日曜日の日記です。



(飯田市上村)


特段のアテも無く遠山へフラフラ行ったのですが、結局足が向くのは遠山林鉄の跡・・・



廃線後林道になり、上村の村道→合併で飯田市道となっているのですが現在廃止?か通行止めとなっているようで殆ど整備されていません。
そうは言っても国道沿いの起点である「梨元」から5キロほどの「須沢停車場」までは一応自動車で通行が可能です。

時間に余裕があったのでそこから少し歩いてみました。



所々に神様が祀られています。

須沢からほどなくして現れる「ながとろの橋」





林鉄時代の鉄橋をそのまま転用しているため、軽でやっとというような幅員です。
・・・ここを材木を積んだトラックで走るのはさぞおっかなかった事でしょう・・・
でも当時はもっと危険な橋はたくさんあったかもw




橋を渡り500mほど歩けば晩年の終点の柿の島停車場
・・・ここから先は土砂崩れなどがあり、登山の装備が無ければ行かない方が良いです。
対岸に「柿の島」という集落・・・とはいえ現在は無住・・・があり、少し開けた空間になっています。
ちなみに柿の島は「下栗の里」の一番下にあたり、下栗で唯一田んぼが有る場所だそうです。





かつて側線があったであろう余地にはジープが一台打ち棄てられているのみで、他には何もありません。
陽が落ちれば一気に侘しくなります・・・

ヤッホ ヤッホホホ さびしい ところ

豊橋鉄道の保存車(デワ11・デキ211)

$
0
0


伊良湖岬へ向かう途中、渥美半島の真ん中にある芦ヶ池湖畔の「サンテパルクたはら」に保存されている車両を見てきました。






保存されているのはデワ11とデキ211
・・・この解説板、結構肝心な「いつ廃車になったか」が抜けてますね(笑

どちらも晩年はほぼマスコット的扱いだったようですが1997年の昇圧まで使用されました。



まずはデワから
珍しい2軸車です。軸間距離は3350ミリ(主に個人用メモw)



荷物扉の下にある板は何なのかなと気になっていたのですが、抵抗器のカバーのようです。





朝8時になると扉が開錠され、車内に立ち入ることが出来ました。
・・・公園管理者により大切に保存されていて、状態は良好です。

車内はまぁ、荷物車なのでがらんどうですw
運転台は超シンプル。ブレーキは手ブレーキのみです。
・・・入替用だったので最後まで問題なかったようです。
照明は裸電球・・・運転台と含めて6つ
・・・これはもしや600Vだから6つ直列に、っていうやつですかね?

ちなみに運転台でジャンプすると車体が縦に揺れます。
やっぱり2軸車だナァと思ったりw



駐車場と公園を繋ぐ橋から屋上も観察できます。
パンタグラフは畳んだ状態で保存されていますが、どちらがいいんですかね・・・?マァ好みの問題なんですけど



そしてもう1両のデキ211
こんな感じにすると貨車を牽いているようです。



木造のデワと違ってリベットバリバリの車体です。





こちらも車内に入ることが出来ます。
ボンネットの中を覗いてみると、抵抗の無い側は空っぽ
ちょっと意外でした。

前面中央の窓も面白い開き方をしますね。

私はこのサイズの車両が好みなので、保存車めぐりがメインになりそうですw



オマケ



偶然みつけた豊橋鉄道7300系
1997年の1500V昇圧時に名鉄より譲渡され、一気に全車を置き換えた7300系
2扉クロスシートで豊橋鉄道向きでは無く、しかも吊掛駆動だったりと難があって短命に終わりました・・・
この保存車は再塗装され(屋上機器も黄色になっていましたが)まだまだ現役のようです。

(訪問日 2016.2.11)

福井鉄道160形(161-2)

$
0
0


なんだかんだ4回くらい行ってる気がする福井県
今回は鉄目的ではないので、駆け足でちょっと覗いただけです・・・



福井市内の下馬中央公園に保存されている160形161-2です。
近くを通ったのでチラッとw


元は昭和8年日本車両製のデハ21で、戦後にデハ22と合わせて161-1、161-2という連接車に改造されて平成9年まで使用されました。
その後161-1と別の場所に保存される事となり、こちらは再度ボギー化および連結面に前面を取り付ける大改造を実施して現在に至ります。
・・・ただ、連接化以前はもっと華奢な台車を履いていたし、前面も全然違う形状なので今までのどんな時代にも合致しない形態になっていますww


現役時代の前面と、


増設されたダミー?の前面。
予備の部品を使ったのか分かりませんがなかなか良くできていると思います。
ただし窓ガラスに傾斜が付けられていないので印象がちょっと違います。

近年再塗装が行われ状態は良好・・・と言いたいのですが、公園に面した側の窓ガラスはすべて塩ビに交換されています。
全て割られてしまったワケではないと思いますが、ボールなどで破損しないようにと予防策でしょうか?



道路側の側窓はそのままの状態で、特徴の2段窓が残されていました。
・・・161-1は原形のままの1段窓、161-2は震災焼失復旧車のため2段窓になっていました。



そしてこのバラストの撒き方・・・汗
もう一方の方もいつか見に行ってみたいものです。

ワールド工芸 電動貨車をつくる

$
0
0


ワールド工芸のプラシリーズの電動貨車を作ってみました。
いつも通りのABS車体に組み立て済み動力の構成。
プロトタイプは土佐電の電動貨車1号のようです。
かなり個性的なスタイルをしています。



毎回素組みはつまらないと改造していますがw今回もかなり改造しました。
とりあえず豊橋デキを見てきたばかりでしたので、鉄コレ第2弾の貨車の側板を貼りつけて有蓋化。
両端を詰めるとちょうどのサイズになります。
車体の長さを変えると屋根など弄らねばならず、それでは全部作り直す方が早いwので寸法は変えません。

だがしかし!ちょっと小型すぎて使いにくそう…
ちょうど熊本電鉄の「モコ1」の写真を見てしまい、屋上に架線修理用の舞台が取り付けられました。
ちなみに熊電のモコ1は旅客用の2軸単車を工作車に改造したもので、サイズ以外は似ていません。
舞台に登るハシゴはKATOの旧客用の物を使います。



ヘッドライトはモコ1に倣ってオヘソに降ろしました。
天地寸法が大きすぎる前面窓が気になったので、上を1ミリ帯板で塞いでいます。
・・・これで大分イメチェンに成功(笑



屋根には中古で仕入れたモデモ江ノ電100の旧製品についているポールを装着。
シングルポールにしてはちょっと短い・・・けどマァこんなもんかな
前面幕板にはポールの紐が飛んで行かないように通しておく横棒?も忘れずに・・・







続けて塗装
塗装に困らないように屋上の舞台は最後まで固定しません。
車体は黒ベース、舞台はウッドデッキ風に茶色です。

レタリングをして艶消しを吹けばOK!



床下には適当に(見栄え重視)で鉄コレからタンクと抵抗器を移植しています。





ということで完成。前面窓にはワールドの鉄コレ用手ブレーキを取り付けました。
ナンバーはアルモデルの自由形インレタから「デカ1」としました。電動貨車です。一応w



本当は定番の保線道具?の竹梯子を装備したかったのですが、ちょっと長すぎたので保留としました。
斜めに取り付けたら面白いかも?



・・・開業時に用意された電動貨車だったが、あまり使用されず戦後は保線用に改造、といったところでしょうか?
実は、twitterでこんな風なコミカル?な車両(のいる風景)を描いている(いた)方々がいらっしゃいまして、絵を描ける人は羨ましいなぁと思いつつ仕上げた次第であります。
まぁ表現方法は個人の得手不得手があるからね。でも私は地面造らないとねw



と、ブログにまとめてみましたが、自由形なので何の参考にもならないカモ…と思いつつ終わります。
妄想に付き合っていただいてありがとうございました(汗

桜を見に行く

$
0
0


長野県では一番早く咲くらしい伊那小沢駅の桜を見物に、X30の試運転も兼ねて小旅行。





車で通りすぎるたびに気になっていた建物
消防団の詰所かと思っていたのですが、前に立ってみると地区の集会所でした。
看板が右書きなので建てられた当初からと思われます。
・・・1階部分の倉庫には何が入っているのでしょう。

この手の施設はある日突然無くなっている事が多いので、「いいね」代わりの記録が重要ですw




私のお気に入りの道の1本、県道113号粟野御供(おども)線
阿南町の天竜川沿いの集落をウネウネと連ねています。





殆どの区間が未改良の「険道」ですが、のどかで温かい景観が続きます・・・





天龍村に入り小沢へ向かいます。
これは天竜川に架かる県道1号線の天竜川橋
・・・なんかもうちょっといい名前無かったのかなと思いますが(笑
大きな川にある橋というのはムラとムラを繋ぐものなので、ネーミングは割と悩むものかもしれません。
云う程狭くはないのですが、トラックは行き違いが出来ないので対向車がいる場合は袂で待機・・・

梅畑の中にある姿が美しいのですが、新橋の建設も始まりもうすぐ見られなくなりそうです。





道草をくいすぎた結果、目的地に着くころには雨に・・・まぁ良しとしましょうw
伊那小沢駅にはカンザクラが数本植えられており、咲き初めといったところでした。

交換駅ですが余地がほとんど無く、駅を出るとすぐトンネル。
トンネル脇に怪しい線路があり「旧線か?」となりそうですが、ここのは貨物ホーム。
車道なんて無かった頃はたくさんの物資が出入りしたことでしょう。

ナロー客車を作る その1

$
0
0


冬らしくなかった冬が今にも終わりそうです。
このまま春が来るのでしょうか?



自由形ナローの客車2両目は前作と打って変わって古典的な車両。
いつものペーパーキットメーカーさんに無理を言って1/80で出力してもらった加悦のハブ3です。
・・・なので市場には存在しません(多分
16.5ミリでは仲間がいないので、ナローに加えようかなとw
長さを少し詰め、幅は大幅に詰めています。



今回やってみたかったのが屋根
如何にしてダブルルーフを自作するかの試作です。
屋根サイズに切り出した0.3ミリのプラ板に両脇に1ミリ厚のプラ板を重ね、整形後に真ん中の屋根を貼ってまた整形するという順序です。
こうすれば綺麗な形になるはず・・・



だったのですが、真ん中の屋根が薄すぎますw





床板は適当に鉄コレ台車を取り付けて作成
ちょっと梁を追加すれば十分な強度になるでしょう。
車体が1/80なので、1/87の他の車両に比べて大振りなので頑張って車高を下げています。
屋根が低いのも功を奏し、車高はまぁ良い感じ?
・・・不恰好な感じをどうやって誤魔化しましょうか?





荷物室側の端面は完全なのっぺらぼうなので、端梁などを追加。
・・・端梁はもっと厚い方が良いんでしょうけど、カプラーの関係で妥協です。
後部円盤はチビ客車のバッファを付けました。
ブレーキハンドルのカバーはパイプから自作。



次はデッキを作ります。

軽便電鉄再訪

$
0
0
前回訪問で気に入ってしまった軽便電車を再び訪ねました。



1つ目の軽便電車、三岐鉄道北勢線の入り口は西桑名駅
JRと近鉄の桑名駅の裏手に位置しています。
でもどちらかというと三重交通のバスターミナルの脇にある、という感じ
そのむかし、三重交通が経営していた名残でしょうか?



木で組まれたホームの先端は朽ちて傾いています。
ここまで電車は来ないのでいいのでしょうか(汗

とにかく乗り込んだ小さな電車はほどなく発車
吊掛け駆動のモーターを唸らせてJRと近鉄名古屋線をオーバークロスすると馬道駅





今回はココで下車
半分水路の上に建っている古い駅舎が好ましい駅です。
・・・北勢線もいいんだけど、全部乗ると時間がかなりかかるのが難ですw


そこから歩いて・・・オーバークロスまで戻ります。
近鉄名古屋線の益生駅すぐそばの歩道橋から観察。



JRの上を行く北勢線
ここは3種類の線路幅
JR :1067ミリ
近鉄 :1435ミリ
北勢線:762ミリ
が同時に見られる場所です。
・・・だからなんだと云えばそれまでですけどねw
待ってみたけど中々タイミング良く交差するシーンは観られず、断念。



近鉄はたくさん来るんだけどねぇ・・・



線路沿いで構えているとちょうど三重交通色の連接車がやってきました。
これを見て満足したので北勢線に別れを告げ四日市へ移動・・・





もう一つの狭い線路の電車は近鉄四日市駅の高架下に出入りする四日市あすなろう鉄道
ナローゲージ(狭軌)だから「あすなろう」だそうですが、普通の人は意識しているのかしら?
・・・まあ確かに車内はかなり狭いけどw

四日市~内部と、四日市~西日野の電車がそれぞれ30分間隔で行ったり来たり・・・
分岐点の日永駅までは1時間に4往復も動いています!
一日フリー切符もあり、地方私鉄が好きな方にはぜひお勧めです。





降りてみたのが赤堀駅
四日市~日永にある唯一の小さな駅ですが、超小さな駅舎の脇に超デカい古木が構えています。
まるでご神木のようですが、開業時から駅を見守っているのかもしれません。





錆と油と埃で、何もかもが茶色く粉吹いたような線路沿い・・・
木製の古い枕木は埋もれつつあります。



けれど、これぞ「電鉄」と思うのは私だけですかね(笑




日永駅は先述の通り、西日野方面(八王子線)の分岐駅
昔は西日野より先の八王子まで線路があったらしいのですが、水害で廃線になって久しいようです。
日永では日中でも必ず交換が行われます。



この日八王子線に入っていたのは新型車
といっても両端の車両は在来車を更新、真ん中の車両だけ新しく作って誕生しました。
方向幕には行き先が書かれておらず、レトロ調?の丸い行き先表示板を掲げています。








3両編成ですが作られた年代がバラバラなので形も大きさも異なります。
「パステルカラー」と言って各車違う単色を塗ったのもそれを強調するようです(笑








内部駅は小さな車庫を併設しており、高架化で大変貌したと思われる四日市駅と違って昔のままの「終点」という感じなのでしょう。
すぐそばの国道1号線とは違って、ゆっくりした時間が流れています。



訪問日:2016年3月13日

ナロー客車を作る その2 (完成)

$
0
0


前回に続きデッキを作っていきます。



床はプラ板(0.3ミリと0.5ミリ)を使ってそれらしく、カプラーに干渉しないように気を付けて作ります。
・・・この辺はカプラーをボディマウントにしてしまえばいいんでしょうけどね



デッキに付く手摺は真鍮線を曲げてハンダ付け。
エンドウさんで購入したいろんな太さの入ったジャンクの線を利用しました。
たぶん0.5ミリと0.3ミリ。
図面など無く完全に現物合わせですw
・・・金属工作はどっちかと云うと「細工」の方が向いているのかもw

http://11.pro.tok2.com/~mu3rail/link247.html

シンプルなカタチも良いですが、せっかくなので下津井のホハフをイメージした形状にしてみました。



行き当たりばったりですが結構良い感じ。
他には荷物扉に手摺を付け、ブレーキハンドルから延びる棒を真鍮線で作製しています。




床下には木造車の特徴のトラス棒を
海外型のNゲージ貨車から流用してきました。


いつもながら塗装中の写真はナシw
マホガニーの缶サフをベースにし、クリーム4号とジャーマングレーをエアブラシで塗装しました。



塗り分けは駿遠線のハニを意識し、クリームは客窓のみにしました。
標記はいつものアルモデルさんのインレタ。ハブ3がベースなので「ハニフ3」としてみました。





前後で表情が全く違う車両にすることが出来ました。
・・・ちょっと見ただけではハブ3を改造したとは見破れまいw




電化前からの生え抜きの合造車
電化に合わせて更新、電車にぶら下がって活躍中という設定です。

飯田お練りまつり雑感

$
0
0


七年に一度の下伊那の大イベント「お練りまつり」が25~27日の日程で開催された。



「七年に一度」というと、諏訪の御柱祭が全国的にも有名であり絶対の存在である。「それに隠れてしまいマイナー」とは地元民の弁だが、宣伝不足も大いにありそうである。とても盛況なので、もうちょっと知れててもいいように思う。



市内の大宮諏訪神社の式年大祭に併せて開催される。
大宮神社のお祭り自体は24日に神輿が町の中を廻るというもの。その後に町内の衆が様々な出し物を催したのが起こりのようだ。「せっかくなのでオラホも」というノリだろうか?如何にもお祭り好きなこの地域の人々の考えそうなことである。







お練りまつりの主役は「獅子舞」
市内だけでなく周辺の町村からも「保存会」が参加し、40余りの獅子が出現する。
後ろに胴体が付いており、普通の人のイメージする「獅子舞」より相当大がかりなのがここの獅子の特徴である。
タイヤの付いた台車になっており、中で楽器が演奏される。
それぞれの獅子には異なるエピソードがついており、形や色が異なる。
・・・興味のある方は調べてみてください(良く知らないので・・・





中でも特大の物が「東野大獅子」で、サイズ的には大型の路線バスくらいあろうかというもの。
狭い商店街を進む姿は圧巻。





出し物は獅子舞だけではない。
大名行列に使われる道具は江戸時代の本物なんだとか。とにかくすごい人気である。






この週末は丘の上(要は旧市街)は今まで見た事が無い程の人出。
「いったいどこから?」とみんな言うが、ちょっと考えてみた。

恐らく、下伊那在住者以外は多くが帰省者なのである。
下伊那地域の人以外で「お練りまつり」を知っている人は民俗学者や祭り、獅子舞に興味がある人に限られてくるだろう。

実際「何年振り!?」という偶然の再開に喜ぶ人々に度々出くわした。
個々ではもっと頻繁に帰省するのだろうが、それが一堂に会する機会というのは中々少ないのではなかろうか?

伝統だの何だのと地元住民が大事にしている事だが、実は故郷を離れた人間にこそ大事なイベントなのかもしれない。

アルモデル軽便ボギー客車改造電車を作る その2 (完成)

$
0
0


4月に入り、いよいよ春。

年末から仕掛りの自由形ナロー電車を仕上げました。



今回は珍しくドア横の手摺を取り付け。
・・・木造車は凹凸感が重要かなと思います。
まぁ、作り始めたときは気合いがあって穴を開けたというだけですw




パンタグラフは前作同様トラムウェイの玉電に付属のパンタ。
安っぽさが気に入っています。
・・・が、先日の運転会で走行中に動揺でだんだん下がってしまう事が発覚しましたww



ヘッドライトは銀河のN用250Wタイプ、テールライトはエコーのガイコツ型、ベンチレータはGMの旧客に付属のガラベンを半分にしたものです。
極力安く、手持ち品を活用w



我が社の路線は地面から乗降する箇所があり車両にはステップが付いてる、という設定?なのでこいつにもステップを取り付けました。
今回は福井鉄道のような可動式のものをイメージ。
0.3ミリのプラ板で作製し、0.1ミリのプラ板を切り出した帯の裏から針を突いて鋲のようにしたものを貼っています。
かなり適当で、動くの?っていうのは触れないでくださいw




塗装!
車体はいつも通りマホガニーサフにクリーム色
屋根と床下はジャーマングレーに黒を足したものです。






こんな感じで完成。
車体に帯材を貼り付けた甲斐があって中々立体感があるものになりました。
床下は抵抗器以外はN用ですが、北勢線など見る限りまぁこんな感じなのでは?と思います。
ステップは台車に引っかかりますが、Nより幅があるのでまぁ普通のカーブは問題なさそうです。
まぁでも撤去できるように両面テープ固定としましたw

標記はデハ103
客車改造の101、新造の102(未製作)に続く他社からの中古品という設定です。





電化に際して電車で用意したものの予備車が不足するため、どこかから仕入れてきた木造車。
老朽な車体とかなり狭い運転台から、営業運転にはあまり使われず車庫で寝ている事が多い・・・

・・・この路線の電車は全3両にしようかと思っていたのですが、片ボギーの気動車改造電車なんていいナァ…なんて思い始めてしまいました。
妄想は続くよ どこまでも(笑)

3Dプリントの木曽モーターカーをつくる その2 (完成)

$
0
0


その1は確か11月。
3Dプリント特有のギザギザを消すべく頑張って頑張って・・・放置してましたw



細かい部分がどうしても消せずに嫌気がさしていたのですが、これ以上引っ張っても仕方ないので塗装します。





GMの西武アイボリー、京急の赤、クレオスの濃松葉色で塗装してみました。
冒頭の実車に比べると緑が濃い目です。でもこちらの方が好み。




動力は指定のころころ動力
http://homepage1.nifty.com/tfw/tips/5421/5421.html
有名だと思っていたのですが、ナロー以外では案外知名度が低いのかも?
ナロー界隈は狭いw

性能はなかなか良く、電池を動力とするのでレールが無くても走ります。
・・・遊ばない時はイチイチ床板を取り外して電池を出さなければならないのが難といえば難です。




窓は頑張ってGMの塩ビ板を切り出してピタ窓方式にしています。
まぁ全部で9枚ですので・・・w
こんな感じで近くで見ると、ライト下など細かい箇所に積層痕が残っているのが分かります。



走らせてナンボというものでしょうか。
精密模型は金属キットに任せ、ディテールはあまり気にせず楽しむのが良さそうです。

ムラの守り神(消防ポンプ)

$
0
0


晴れた休日の午後
たまにはと長距離歩いてみました。
・・・ふだんは車でサッと過ぎてしまう所でも、歩けば色々と目に付きます。



下伊那某所の古い道
ゆるいカーブの外側になにやら良い感じの小屋が。





内部まで竹に浸食されている廃屋
立地的に農機具小屋か集乳所か?と思いましたが、看板は消防分団ポンプ倉庫でした。



正面から見れば祠っぽい?構えです。
でも祠にしては奥行きがありすぎます。


ともあれ私の大好きな消防団の建物と分かり、中の藪は如何にと覗き込んだところ・・・







!!!
なんと大八車に載せられた箱が鎮座しているではありませんか!
藪すぎて全容は収められませんでしたが、
http://www.shoai.ne.jp/hirakata-s/sisetu/070322/07032216.html
こんな感じの原始的なポンプです。
郷土資料として博物館に割とあるグッズですが、もちろん使用されているのは見た事が無いですし、町の中で見るのも初めてです。

この手の小屋は殆どの場合何も入っていないのですが、ここには本当に手動ポンプが収まっていました。


いつ頃まで使用されていたか分かりませんが、昭和5年(1930)から実に86年もの間この地にあるようです。

まさに祠に鎮座する守り神なのかもしれません。

野池神社の御柱祭

$
0
0


七年に一度(正確には「数えで」7年)の御柱祭
諏訪大社のみならず各地の諏訪系の神社で執り行われます。
折角なので飯田市千代にある野池神社の御柱祭をちょっと覗いてきました。



いつも静かな千代地区中心の米川も今日はたくさんの人
多くの家が玄関を開けたまま表で準備をしています






野池の御柱はかつては米川の川の中を牽いていたそうですが、平成になり護岸整備で川に入れなくなったそうです。



御柱って道路でも台車などの車輪は使わないんですね…
男木・女木の2本の柱を太い縄で牽いていきます。





こちらが野池神社
米川から一段高い小丘に位置しています
不思議な事に境内には池が
多分それが由来なのでしょうが・・・笑

この丘を引き上げるところが一番の見どころ
なんですが午後は用事があり見れずw惜しい事をしました。





野池神社は信濃国二宮とされるなど、とても歴史のある神社
天慶年間(938~966)に南山総鎮守と称したという記録があり、参道途中の両脇の丘は古墳という説もあるそう


神坂峠では日本武尊が白鹿(山の神=古い支配者?)を倒したという伝説があったり、
古代下伊那は大和王権の東方支配の拠点だったという研究者もいたり、
この辺は調べ始めるととても面白そうではあります。

鉄道模型市

$
0
0


先月末に浅草で開催された鉄道模型市
しれっと参加させていただいておりました。





Nゲージのジャンク品と当ブログで紹介した過去の作品もいくらか。
お買い求め頂いた皆様ありがとうございました。




阪急電車は売り子をお願いしたK氏の作品。
快諾していただき共同出店という形になりました。
真鍮工作は圧倒される様な作品を作られる方ですが、鉄コレ改造でもこの雰囲気。
丁寧な工作って大事だなぁと痛感します。今回一番の戦利品かな・・・?w

最近の製作所

$
0
0


皆様連休はいかがお過ごしでしょうか?
・・・私は死事wなどモタモタしているうちに過ぎ、遠出はままなりませんでした。

私がモタついているうちに、下伊那では茶摘も始まりました。(天龍村中井侍)
・・・川沿いの崖っぷちを走る飯田線からは見えませんが、大変美しい集落です。




さて、最近製作日誌を上げていないのですがw
こんな3両を製作中です。

・京王1118(戦災復旧車)
・銚子301
・自由形単車



京王のタコ坊主の車体は完全自作。
高校時代にケント紙で作製した、初の作品です。
・・・各部弛みや歪みがありますが、実車もボコボコなので勘弁をw
実は庄内モハ7として作製したのですが、キッチンさんのキットを買ったので京王時代に復元中です。
電装はせず、鉄コレ能勢電の床板を嵌めました。



単車は知ってる人は知っている、鶴臨の支線用電車。
キッチンさんから客車化された三岐時代のキットが出ており、それをアレンジしています。
床下はマスターピース製です。ユラユラと走りますw




この手のボディーだけのキットで悩むのが床板。
最近ツメを作ってパチパチ嵌めるのにはまっています(笑
鉄コレ床板にネジ止めは馴染みませんし・・・どのように固定するか考え、寸法通りに作るのが何とも楽しいです。
それぞれ追々記事にする予定です。

京王の戦災復旧車

$
0
0


今では10両編成の電車がドシドシお客を捌いている京王線
終戦後はこんな電車が2、3両編成で甲州街道の真ん中をゴロゴロ走っていました。

この2118は2119と共に東京大空襲で焼失した車両を桜上水の工場で復旧した第1号で、屋根が異様に深く「蛸坊主」などと渾名されたようです。
2118は車体中央が垂れ下がっていたものの1960年代まで使用、2119の方は最初から台枠が歪んでいてしょっちゅう脱線、早期に売却されています(それでも買い手があるのが資材難の当時w
が、初めて個室式の運転室が付き、超満員でお客が運転台にまで押寄せる中で乗務員には人気だったとか。

http://drfc-ob.com/wp/archives/38607


さて、模型の方はケント紙によるフルスクラッチ!
高校時代に初めて作ったもので思い出の作品でもあります。

・・・今更完成なのかって?
実は一度(半)完成していたのですよ。



当時はタコ坊主が京王引退後に庄内交通へ譲渡された姿を作ったのでした。
(京王2119→庄内7)
学園祭ではこんな感じで走行しました。
・・・しかし、やはり当時の施工能力では満足のいく物が作れず、暫くの後に金属キットを入手(まだ作っていないw)したため引退。
動力など取り外してジャンク箱に長く放置されていたのでした・・・




先日ジャンク箱の整理の際に出土
当工場の記念すべきスクラッチ第1号ですので、出来がイマイチなのには目を瞑りレストアする事としました。
・・・というかイチから作れと今言われても気力が無いww



まずは下地処理。
元の塗装の上にサフを吹いて削っているので元の塗装がまだらに見えます。
屋根はペーパールーフで綺麗なRが出ておらず出来る限り整形しました。
・・・ペーパールーフ工法はとりあえず初心者でも完成させる事は出来ますが、綺麗に作ろうとした時他の工法より難しい様な気がします。もし今やるならプラで作るかな?



屋上にはキッチンさんのキットの余りのランボードなどをそれらしく追加してみました。
扉上の水切りはランナー伸ばし棒です。
前面、側面は殆ど弄らなかったため仕上げの甘いボコボコ車体です。
が、戦災復旧車らしくて良い?w




床下はMODEMO動力を使用していましたが既に無く、割り切ってトレーラーとして復元。
鉄コレ能勢電50の床板をそのまま流用。床下機器は鉄コレの京王2400から持ってきました。



能勢電のブリル台車にKATOのスポーク車輪
良く似合います。
この台車はセンターピンと側面部分がすぐ外れてバラバラになってしまうので、これは接着剤で固定しています。


そして塗装
時代設定は1950年ごろまでの尾灯が1個の時代としました。
・・・進駐軍の命令で2個となったそうですが、しばしば球切れしてたんでしょうね・・・汗
この当時の鋼板屋根の車両は鉛丹色ですが、コレがうまい色が無いんですよね。
クレオスの茶色(基本色)に赤や濃茶を混ぜてみましたがまだ明るすぎる?ような気がします。
まぁこの辺は個人の好みですね。
ダークグリーンにはクレオスの三菱系濃緑色を使っています。



インレタはGMの5000系用(一畑用?)を使いました。
白い京王の社紋はこれだけかなと思います。
車番の書体も違うし、KTR(京王帝都)もホントはもっと大書きしてありますが・・・汗





リアルにウェザリング・・・すると実車はガラスが割れていたり板で塞いでいたりしていると思うのでw全体を艶消しにして仕上げました。
ちょっと博物館などにある模型のようです。
この年代の京王電車のNゲージを持っている人は余りいないのではないでしょうかw



片運なので相棒も欲しいし、金属キットの庄内交通も作りたいのですが、まぁ急がずやっていきたいと思います。

紙から栃尾のクハをつくる その1

$
0
0


夜明け前っていいよね (飯田市)


京王の戦災復旧車を仕上げ、なんだか紙工作をしたくなったので新しいのに手を付けてしまいました。



TMSに掲載の「軽便電鉄への御招待その4」より図面を拝借し、いさみやの用紙にケガキ
0.3ミリのシャーペンで寸法どおりに引いていきます。小林信夫さんの記事にある図面は寸法が丸めてあり非常に簡単。
・・・一カ所ミスってますがw





そして切り出し
いつもの通りデザインナイフで抜いていきます。
一定の方向、力、スピードで刃を動かすのがポイント。刃はちょっとでも切れ味が落ちたら交換しましょう。
元ネタは栃尾電鉄のクハ30
昭和25年に自社工場で作られた客車
一時期クハ30を名乗り直接制御の制御車化!したのですが認可が下りずまた客車へ…
裾が長く屋根がとても深い特徴的な車体をしています。



今回はペーパールーフに挑戦してみます。
・・・京王の戦災復旧車以来ですw
裏から1mmピッチで筋を入れておきました。




私の場合、内板の窓も切り抜いてから内板と外板を接着するのですが、今回小林氏に倣い内板を貼ってから抜く工法を試します。
・・・上手くできるか半信半疑です。



チマチマ進めていきます
この工法、内板の窓がズレる心配が無いのがとてもいいですが、予想通り定規と内板の間に隙間ができてしまい切出しにはちょっと不便です。
・・・しかし彫刻刀を使う場合はかなり有利だと思います。
慣れれば一段窓ならばケガかずドンドン進められるでしょう。
我が家には彫刻刀が無いので試せませんが(汗


(上手くいけば続く)

銚子電鉄の旧型電車など

$
0
0


銚子電鉄の昔の電車を3つ仕上げました。



1両目はデハ301
キッチンさんのキットを組み立てました。
・・・これは鉄コレではなく、リベット付きの車体にしたかったのでw



前面の幕板にはタミヤの新製品、曲線用マスキングテープを使ってみました。
厚みがあるので、貼り重ねには注意を要しますが、一発でカーブが決まりますし吹込みなどもありませんでした。



ビューゲル時代の301は母線が前後に引き通されていますが、それは鋼製ドアになってから。
木製ドアの時代にはビューゲルからすぐに屋根に引き込まれています。
・・・教えていただいたので再現しましたが、まぁ目立たないので省略しても良いでしょうw





デハ301を作って銚子(調子)に乗って、塗替えのつもりで放置していた701と801も仕上げました。
801は伊予鉄から塗替え(転入時に幌枠が撤去されていますが今回はそのまま)のみ
701はケース封入のアンデコから、ドア窓を旧態の大きい窓に、尾灯をガイコツ型に交換しました。



陽気が良くなってきたので塗装と仕上げはベランダで。
銚子の赤はGMの西武赤電の赤にクレオスのあずき色と黄橙色を混ぜて作製。
・・・黄色を入れないとホントにピンクっぽくなってしまいます。

横の一畑デハ3は屋根のみ塗替えで車体を艶消し。
・・・模型市で入手した阪急に触発されて鉄コレをグレードアップ!ただしパーツ追加はナシw



テールライトのみ光学繊維で作ったレンズにしました。
ヘッドライトも鉄コレのアンデコについてたものです。
・・・これ、精密で好みの部品なんですが、



塗装品がこれで残念すぎる。銀色が厚すぎて剥がすのも面倒ですし・・・



屋根を塗りかえて軽くウェザリングすると重量感が出て良い感じです。



屋根のウェザリングにも挑戦しましたが、まだまだ修行不足のようです・・・
鉄コレで練習ですかねぇ


これで銚子電鉄のボギー電車がだいぶ揃いました。
あとは501の台車間距離を直すとかですかねぇ。
2000は鉄コレでOKとして、3000はGMキットが沢山余っているので作ってみたいと考えています。
・・・出るけどww

ナローゲージ界隈

$
0
0


細い道
あの吊り橋へ続いているのだろうか
(泰阜村)


鉄道コレクションからナローが出るという事で俄かに盛り上がっているナロー界隈
・・・といっても「味噌汁軽便」趣味者が色々言っているのみで、産業用ナロー趣味者にはあまり関係ナイ?

1/80か1/87かについてはまぁ何度も繰り返されているような議論なので特に変わったような意見は持っていません。
ナローやってない人間からすると今のところ1/80の方が自然なんですよね・・・

元よりこの界隈は非常に狭い袋小路ですので、新規参入者が増える事を期待します。
・・・定着しなくてもまぁソレでもいいし、その時考えればいいのでは?
でもナローやってない方々の方から「猫屋線はなんでファインスケールではないんだ!」という意見を割と聞くのがちょっと意外。
まぁともかく、色々御託を並べるより手を付け、楽しんだ者がイチバンなのです。




ところで、当製作所では初の自社発注車wとなる客車を試作中。
とにかく自分で欲しいが為に作っているもので、今後の予定等はまた後で考えますw



CAD作図は自ら行い、レーザーカットをIORI工房さんへ依頼しています。
当たり前ですが美しい仕上がり、作製も(人力切り出しに比べ)超カンタン!
2個以上作るなら選択肢に入れても良いかと思います。



スケールは1/87
井笠の客車を念頭に、当方の自由形電車に合うようショーティー化。
中々好ましいスタイルに出来たと思っています。
自分の思った通りに作っているのでまぁ当然ですが(笑

丸妻に側面8枚窓、言われてみれば路面電車ですねw
Viewing all 313 articles
Browse latest View live