Quantcast
Channel: 工場長の製作日誌
Viewing all 313 articles
Browse latest View live

長野電鉄を訪ねる

$
0
0


長野に所用があり、ついでに久しぶりに長電に揺られ須坂へ行ってきました。



JRの長野駅は驚くほどの変貌を遂げましたが、長電長野駅は昔のまま
一昔前の「地下鉄駅」というような、冷たくてカビ臭い風景です。

ちょうど日比谷線の中古である3500系が暗闇から現れました。



左は田園都市線からやって来た8500系
真ん中には成田エクスプレス・・・
・・・また会ったな!という感じですw
この他には小田急ロマンスカーも運用されており、東京の中古車をかき集めた感じになっています。



須坂構内
・・・田園都市線ばっかりでまだどことなく違和感を感じます(汗



須坂駅構内には歩道橋があり、大人の背丈ほどの高欄が付いているのですが、線路横断部はアクリル板になっていて電車が見えるようになっています。
・・・子供向けの良い配慮ですね。一番嬉しいのは抱っこしないで済む親かも知れませんがw







今回のお目当てはこれ
昭和2年製のED5001です。

前回訪問時は使用中で車庫内にいて見られなかったのですが、2.3年前に使用停止になったようで車庫の一番隅の見やすい場所に留置されています。
ここ(西側の2線)には廃車になった3500や10系、部品取りの東急8500が置かれており今後どうなるのか気がかりではあります。



ちょっと昔の車庫裏の風情も残っていました。



長野の地で第二の人生を送る東京の電車たち
3500も数を減らしましたが、まだ当面は活躍しそうです。

赤沢森林鉄道の新型客車

$
0
0


緑まぶしい季節になりました。
おなじみ赤沢森林鉄道に今年新型車が入ったようです!



丸山渡停車場の側線?に新設されたトイレ
真新しい赤い建物が出来ていてビックリしました。
パッと見で、B型客車をイメージしたものかなと思われるデザインです。

さて、電車をイメージしたトイレは全国に多いと思います。
しかしコイツは、
・線路上に置かれている
・車輪が付いている
という点において相当なリアリティを持って設置されています。
そして決定的なのがコレ





なんと製造銘板が!w
「トイレ客車」だそうです。
線路上に台車付で置かれている上に「客車」と主張しています。
理髪車を超える珍車でしょうwww



車両は専用の出入り台(ホーム?)に横付けしてあり、車内は洗面台・簡易トイレ×3・掃除用具置き場で構成されています。
トイレはフツー(やや大きめ)の移動式トイレでした。



外観
ピカピカな新造の台車に乗った車体は物凄くノッポ。3mほどあると思われます。
ホームと反対側の側面には管理用の蓋があり、この場で管理が出来るようになっています。
出入り口を下げるためかトイレ部分は凹んでいます。


さて、詳細に見てみるまでも無く、この車両は何故「車両」であるのかよく分かりません。
唯一考えられるのが汲み取りのため移動させる事ですが、ならば丁寧に側溝に架かっている足場は何なのか・・・
公園内の他のトイレはすべて地上に建っています。

とにかく、こんなのが走ってきたらブッ飛びますw

明治村の汽車

$
0
0
愛知県犬山市のでっかいため池、入鹿池のほとりにある明治村へ行ってきました。
広い村内には全国の明治時代の建築が移築されており、手入れも行き届いており気持ちよく見学できます。



毎回不思議なくらいお客さんが沢山・・・
イラストの参考になんて言っていたお嬢さんもいました(特殊な例かもしれませんがw
カメラを持って散策する方にはお勧めです。



園内には移動用に汽車と路面電車が走っており、どちらも明治時代の物が使用されています!



12号は1874年にイギリスから輸入されました。
今でも稼働状態にあるのが奇跡、というよりは脈々と保存に尽力された方々の努力の賜物でしょう。





両端にある転車台で転回します。
ここの機関車は煤けた感じが最高。
模型の参考にしたいと思いますw



連結器も明治時代のねじ式
日本の国鉄では大正末に自動連結器に交換されました。







路面電車は京都のN電
運転台に窓は無く、車体腰部には馬車の様な絞りがあります。
終点でポールを回転させます。






走行はしませんが札幌から貸し出された名電1号が新たに飾られていました。
N電より一回り小さいですが、こちらの方が近代的な雰囲気があります。


井笠タイプのナロー客車

$
0
0


最近模型ネタが全くありませんが、ちょっとちょっと進んでいます・・・



自社発注?の客車ですが、試作車の屋根はシングルルーフで仕上げる事としました。
HO用の屋根板を幅を詰めて整形します。
なからのカタチになったら木工ボンドで屋根を固定し、雨樋との際を盛るタイプの瞬着で埋めます。
とても久しぶりに出した溶きパテを全体に塗って紙やすりで整形、500番のサフで調整などします。
普通の板材は初めてでしたが何とかきれいに出来ました。



塗装は私の標準のマホガニーに窓廻りクリーム
やはりオープンデッキ付近のマスキングが面倒・・・
台車は鉄コレの旧型気動車用・・・脱線してますねw



私の電車に丁度良いサイズ!
・・・そういう風に設計したので当たり前w
でもこれ、やはり機関車に牽かせるのが似合いそうですね。



同時に、以前中古で仕入れた津川洋行の客車(左)もお色直し
雰囲気はかなり改善しますが、ちょっと腰高・・・
カプラーの問題がありますが、今度下げたいと思います。



次第に増えてゆくナローシリーズ。
ただいま正規?のWルーフ仕様を作製しています。

昭和41年の遠山森林鉄道へ行く

$
0
0


今回の記事は少し毛色を変えて・・・

最近ツイッター界隈でなにやら面白そうなものが。
http://colorize.dev.kaisou.misosi.ru/
グレースケールの画像をカラーに変換するプログラムが出来たようです。
仕組みはよく分かりませんがw上記のサービスで試すことが出来ます。

これはと思い試してみたのですが、緑がとても上手く出て驚きました。
今まで想像するしかなかった「色」がなんとなく、いやかなり実感的に味わう事が出来て素晴らしいと思います。


そんなわけで、手元にあった白黒写真を変換してみました。
使った資料は、
「遠山川水系写真綴
天竜川水系総合開発事務所」
「中部電力KKによる地表地質調査」
期日 昭和41年7月1日~7月6日
などとある写真綴り。
ただし、せっかくの機会なので、手持ちのこの期日以外に撮影された写真も紹介します。
廃棄処分の資料から拾ってきたものです(笑

昔日の遠山郷へ行ってみましょう!






旅の始まりは赤石林道
・・・赤石林道は昭和43年に飯田と遠山谷を直結する唯一の自動車道として開通しました。
それ以前は天龍村平岡まで天竜川沿いに下り、遠山川沿いに上って行きました。
それより昔の「小川路峠」は「登り半日、下り半日」といって丸一日かけて越していったようです。
赤石林道はこれのやや北を通るルートで、昔は「新小川路峠」とか言ったようです。



峠にあるトンネルもピカピカです。

・・・今では矢筈トンネルが開通し、この道を通る人はほぼいなくなりました。



遠山森林鉄道の起点、梨元の河川合流地点へ向かいましょう。





上村川と遠山川が合流します。
ここから昭和41年7月の写真です。
下の写真の左端の白いクラウンが停められている道が現在の国道152です。

真ん中になにやら木材?を組んだヤグラの様なものがありますが、他の資料で確認したところ林鉄上に索道が架かっており、その覆いのようです。
林鉄は覆いの左の鉄橋を渡り、遠山川沿いに上って行きます。
更に右側に建物が写っていますが、南信州新聞社の「遠山」によれば、ここは民間の土場があったという事になっています。後年の写真には建物が無いのでこの後取り壊されたのかもしれません。



振り返って撮ったと思われる堰
これは今でもそのままの姿で残っています。



林鉄沿いに山に入っていき「須沢ダムサイト」
昭和41年というと、北又渡に巨大な砂防ダムを建設する工事が始まった年で、このほかにも複数のダムが検討されていたものと思われます。
左上の斜面には須沢~下栗へ続く集落とジグザグ道が写っています。
この川底を遠山森林鉄道が走っていました。



こちらは場所が不明・・・ですが、おそらく先ほどの須沢ダムサイトを上流から見たところだと思います。
軌道上から撮影したものと思われ、右側にはレールが見えます。



少し進むと「柿ノ島ダムサイト」
下の吊り橋は柿ノ島の吊り橋だと思います。
橋の袂の道の様な川沿いの筋が軌道敷で、写真の手前に柿ノ島の側線があると思います。
・・・写ってなくて残念。



そして北又渡に到着。
この写真奥のV字谷に巨大な砂防ダムが建造されました。
切りつがれた写真の真ん中部分に千切れたレールがあります。



今回唯一車両が写った写真です。
DL+客車+客車の編成が奥の鉄橋を渡っています。
北又渡で撮影と思われ、大沢渡への線路の鉄橋と思われます。

最後は大沢渡



一番大きな建物が製品事業所
写真奥が下流のようです。
一番手前の長細い小屋は軌道上にあるようで、手前に車両がいるように見えるのは気のせいでしょうか?




今回の写真群は偶然手元にあり、このまま秘蔵し埋没してしまうのもアレですのでこの場に公開することとしたものです。
何かの参考となれば非常に幸いです。

片上鉄道トラ800をナロー風にする

$
0
0


今回はJNMAはパス・・・最近出不精な工場長ですw
回を重ねるごとに大人数を集めるイベントへ変わっていくのが楽しみでもちょっと寂しくもあります。

さて、今日は軽便無蓋車を作りました。
小っちゃい2軸車です。
ちょうどツイッターで沼尻セタの話題があり、私も欲しいなぁと。
でも貧乏性なのでキットは買わず、いつも通り手持ち品を弄ってナンチャッテ工作ですw



種車は片上鉄道のトラ800
1つ500円なので試しに3つ仕入れたものの、カプラーがそのままでは連結不能・・・という訳で持て余していたものです。
サイズを調べると、寸法はHOnに換算すると沼尻セタとほとんど同じ長さ!
幅は足りないけど、シルエットはそれらしくできそう!という事で加工することとしました。
いかに1/150を1/87に見せるかがキモです。



とりあえず全部分解。
床板と車体?は接着剤で固定されており、破損の恐れがあるので無理して外さない方が良さそうです。
カプラーポケットのツメも一カ所折損してしまいました・・・
が、今回は交換する予定なので良しとします。



残念なカプラーは、バリを取ってバネを入れれば普通に使えるようになります。
・・・逆にこの製品をそのまま遊ぶ場合でも、この作業は必須かもしれませんw



軽便っぽくするため、妻板の台形になっている部分を平らに加工。
下に賑やかについているアオリ戸のストッパー(名称不明)と、ブレーキも片側を除いて撤去します。
これでかなりスッキリしたシルエットになります。
更に側面のアオリ戸部分を一旦切離し、1ミリ角のプラ棒を間に挿入し、幅を2ミリ拡幅しました。



3両固定で使う事にして、両端は元のアーノルドにしますが、中間のカプラーで悩みます。
「合う部品を探してネジ止めして…」というのが大の苦手なのでかなり適当に作製w
これでも機能は果たします(汗



そして塗装!
でもちょっと物足りないのです。ブレーキハンドルを付けるのを忘れていました(笑



慌てて真鍮線の端材を組み合わせて作製。



取り付けて塗るとこんな感じ。
連結器解放テコなど要らないモールドが有ったり、ハンドルから先のブレーキ機構が無かったりですが、それをやるとイチから作った方が早いwなんてことになるので一切省略しています・・・



積荷は拾ってきた杉の木端をさらに細かく刻んで薪にしてみました。

薪というのは、通常は一抱えにして番線で縛って一束(箍)単位にするのですが、ちょっと模型では無理そうw
ということで、薪にしてそのまま投げ込んだ状態で積載しました。



積荷をボンド水で固定し、車体にウェザリングをして完成!
薪を積んで何処へ行くのか分かりませんが、とてもかわいいサイズの貨車になりました。


後から写真を見ると、沼尻のセタなどの貨車は軸受けが違うし、セタはこれよりずっと「トロッコ」のような原始的な形態だったようです。
見た目は頸城のトにやや似ているかなと思います。大きさはだいぶ違うと思いますが・・・
・・・まぁ自由形ですからね(汗

井笠タイプのナロー客車2(二重屋根の製作)

$
0
0
最近梅雨というより夏です・・・早くも夏バテしそう(汗



自社発注のペーパー客車の屋根を作っています。
二重屋根は初めて作るので、試行錯誤・・・
HO用のアガチス屋根材を所定の幅にカットして作製します。
のぞみ工房のFという屋根板を使用しています。



前後を整形したらボンドで車体と接着。

続いて肩部・・・
なのですが、薄すぎて木製では削るのが大変そうです。
特別な道具があれば出来るのでしょうけど、とりあえず加工しやすい(慣れている)プラ材に・・・



1mm×5mmの帯材を整形して作りました。



なんとかそれっぽくなってきました・・・

紙から栃尾のクハをつくる その2

$
0
0
同時に複数作っていると訳が分からなくなりそうですw
今回は栃尾電車の続きを備忘録的に…



窓はこんな感じで抜けました。



まぁまぁです。


続いて屋根の曲げに入ります。
裏に細かく筋を入れて曲げやすくし、型となる木材を接着しながら曲げていきます。





結果・・・



・・・ボツ!w
どうしても筋が強く出てしまう部分が出てしまいます。
上からヤスリをかけて修正すればいいのでしょうが、なかなか難しそう・・・



ということでいつも通り木製屋根で行くことにしましたorz
完成は遠く、まだまだ続きます。

木曽の理髪車をつくる 1

$
0
0


先日KMCの運転会にお邪魔し、また林鉄をつくりたくなった訳で。



今回は理髪車を作ろうかなと思います。
理髪車はその名の通り移動式の床屋で、山仕事で長く山奥にいる作業員のために作られました。
B型客車を改造し、車内にはちゃんと床屋の椅子が備え付けられています。
上松町の赤沢自然休養林に現在も保存されています。
・・・実車があればいつもなら測る!のですが、流石にあそこでコンベックスを当てるのはどうかなとw
そういう事で、最大寸法は普通のB客に合わせ、あとは雰囲気で作ることとしました。



材料は前回の遠山のB型客車と同様にプラです。
腰板にはエバーグリーンの0.75ミリの筋板を使いました。





内側の窓だけ切抜き、他は角材や帯材(幅0.8ミリ~1ミリ)を切り刻んで貼りつけていきます。
この手の木造車両は、実物の材の組み合わせや段差を意識して組み上げていくと実感的になると思います。
・・・窓の上下が切り離されているのは少し長すぎたからw図面も描かずやっているので現物合わせです・・・





腰板には良く見ると縁取り(押さえか?)があるので、0.8×0.25の帯板を縦に挟み込んで表現。



妻板は前後で同じ形状ですが、床屋椅子のある側の扉は完全に閉鎖されているようで、扉の引っ込み具合が異なっているので注意です。



屋根はGMのロクサン型より。
幅を1ミリ拡幅し、下にも1ミリ延長してより深く。
妻面の押さえ板?は屋根の厚みでそのまま表現。
・・・正直GMのキットの屋根は歪んでいるので調整が大変でした。
オデコ部分の幕板は1ミリ厚のプラ板を現物合わせでカマボコ型にして接着。



まぁ外観はこんな感じ。
簡単に車内も再現したいと思います。

木曽の理髪車をつくる 2

$
0
0
いろいろ同時並行で進めているとなかなか完成せず、モチベーションに影響します。
・・・でもまた違うものに手を出してしまうものです。

私の場合、
「制作意欲ぜんぜんなし」
「楽しくなってきて次々手をつける」
「だんだん飽きてきつつもボツボツ竣工」
という3つのフェーズになってしまっていますw

さて、木曽の理髪車は内装を製作しました。



右から椅子、流し、スチーマーと小机、鏡台です。
取り敢えずこれがあれば営業できます(笑)
実車はコードで電気を引き込んで使っていたようです。

赤沢の保存車の写真やネットにある模型の写真(汗)を参考に、車体に合わせてプラ板とランナーから作成しました。
基本的に窓からシルエットが見えればいいというスタンスなので、椅子などかなり省略しています・・・



塗るとこんな感じ。無いより格段に良いでしょう。
ちなみに鏡は袋ラーメンの空袋w



車体の方は特にこだわらずあっさりと。
ランナー延し棒で台枠のディテールを追加し、真鍮線で手すりを取り付けました。


次は塗装で完成できそうです。

木曽の理髪車をつくる 3 完成

$
0
0


暑い日が続きます…部屋にいてもなかなか耐え難いものです。

さて、理髪車が(一応)完成しました。



色は、
屋根:クレオスジャーマングレー
車体:GM京急レッド
台車:クレオス濃緑色(三菱系)
です。基本的に調色はしません。
・・・私が無頓着というのもありますが、この手の車両は実物も一両一両違いますしw

仕上げにウェザリングカラーでスミ入れを行いました。


塗装がおわり、内装をいつもの流し込みセメントで接着しようとした時、車体と指の間をセメントが流れてしまい塗装が台無しになってしまいました!



なんとか気持ちを落ち着け、リペイント。
取り敢えず見られるまでにはなりましたが、帯がちょっとずれてしまいました・・・
・・・まぁこちら側は見ない事にしましょう。






内装はこんな感じ。
実はカーテンを取り付けなくてはならないのですが、工法で悩んでおりまだしばらく先になりそうです。
・・・塗装の失敗で気持ちも萎えてしまい、なかなか気も進まず「一応」完成ということに。
他のモノが出来てきたらまた手を加えようと思います。



プラ板からスクラッチしたB客2両。次はどんなタイプにしようか

定光寺自然休養林の協三DL

$
0
0


まだまだ暑いですが、見上げれば秋の空。


木曽森林鉄道の機関車は幸運にも多くが保存されていますが、県外に散ったものもチラホラ。
今回は愛知県の定光寺自然休養林で保存されているNo127をたずねました。



No127は木曽では少数派の協三製の10t機関車。
昭和31年製で、北海道で使用されましたが昭和35年には不要となり木曽へやってきました。
木曽では異端児だったものの、北海道から団体でやって来たお陰か?鉄道廃止の昭和50年まで使用されたようです。

定光寺自然休養林の森林交流館前の駐車場に運材台車2組とともに保存されています。
塗装は緑一色です。悪くはないけど何を意識しているのか?



手入れはされており、程度はまぁ悪くないのですが、3面の窓がベニヤ張りになっており何とも哀れです・・・
土手側の窓はありましたがオリジナルではないようです。







運材台車は2組とも板バネの付いたタイプ。
ステーキの無い後ろの台車は客車用の張り出しがあり「おや」と思ったのですが、ネットで見ると最初に保存された場所に有った頃は大B客車が載っていたんだとか。もったいない!
ステップ付台車の幅 W=1550mm





向かって右側には張り出しがあるのが特徴。
フロントグリル左の特徴的な手すりは失われています。







モデラー向け資料(笑)
L4600 W1800 H2670 (約)

Bトレ20系客車からE型貨車は作れるか?

$
0
0


メモ的な要素が強いです。
ジャンク品で店頭にあったBトレ。屋根が使えそうだなと入手。
単躯を現実のフル編ばりに連ねて走る「Bトレ」を見てちょっとなぁと思っていたのですが、この程度の編成なら結構アリだなと思いました。プラレールみたいでカワイイ。
あくまで個人の好みですが・・・


さて、タイトルの通り、この屋根が木曽のE型貨車に使えるかという検討をしてみました。



王滝村の最奥で残骸を測った結果、屋根の幅は1950mm、1/87で22mmあまりになります。



一方20系の屋根は19.5mm、2mmほど足りないことがわかりました。
E貨車は屋根裾に張り出した角材を含んだ寸法なので、これより多少広げられると思いますが若干狭いことがわかりました。



手元にある乗工社のキットと比べるとご覧のとおり。
このキットはこの外側に屋根板が被さるので、ややオーバースケールなようです。

ということで、使うには真ん中に角材か何かを入れて幅を広げる必要がありそうです。
高さについてはやや深すぎますが、まぁ使えそうではあります。


ちなみに私の理髪車の屋根と比べてみると・・・



あれ?ちょうどいいのでは??
野帳を見ると、奈良井で採寸したB客の幅が1850mmで、貨車の方が100mm幅広、ということが分かりました。
なんか非常に違和感がありますがどうなんでしょうか?B客の方は屋根裾の角材の張り出しを含んでいないような気もします・・・

結論としては
「使えそうだけどスケール通りではない」
「持っていなければ敢えて使う必要はない」
というところですかね。
参考にする方がいるか分かりませんがw

廃バス利用の建物

$
0
0


まだまだ暑いのですが、伊那谷はひっそりと秋の気配がしています。

さて、最近特に書くことがないwので、昔の写真をご紹介。



多摩地区某所の河原沿いにあった地区の集会所です。
・・・ゴミ箱が猛烈に懐かしいですw
重い蓋を開けてゴミを捨てたり、中にドブネズミが入っていたり・・・
収集車がクレーンで吊上げて底を開けてドサッと回収していたのが印象的でした。

まぁ、そんなことはどうでもよくて





この集会所は廃バスを利用したものでした。
フロント部分が小さい建物(出入口と水回り?)に取り込まれていて形式などは不明です。
たしか、いすゞだったと思います。

建物と同色に塗られ、一体化したバス。

バスコレなどからの改造題材のご紹介でした。

小田急デユニ1000をつくる その1

$
0
0
16.5ミリの車両は増やすまいと思っていたのですが、ここへきてボツボツと・・・



8月初旬、ほろ酔いで過去の雑誌をパラパラめくっていて目についた記事・・・
TMSの680号、小林信夫氏の「小田急デユニ1000を近代化する」に載っていた図面を使用して製作を始めてしまいました(汗
この記事はタイトルの通りアレンジ作例なのですが、寸法はオリジナルのままなので原型も製作可能。
1両でOKだしこれならと思い、いさみやの工作用紙にケガきました。
今回の目標は「昔ながらの工法?で、極力手持ち品を使う」という、まぁ要は安く仕上げようというモノですw



デザインナイフでカットし、1000番のサフを吹いた後に流し込みセメントで接着します。
方眼があるといろいろ楽なので表面にはサフを吹かないように。



外板+内板(上窓枠)+内板(下窓枠)+荷物扉という4枚構成で相当頑丈になりました。
この車両の特徴?であるリベットは裁縫用のルレットで凹表現ですが再現。
・・・安いルレットなので歯車が振れて曲がってしまいましたorz
きちんとした道具を使えばキレイに出来ると思います。





続いて箱にします。
16番のペーパー車両を作るのは2回目で、先輩諸氏がどのような組み方をしているのか実はよく知らないwのでこれは我流になります。
2ミリの角棒を写真のように組んで枠にしました。
※枕木方向の上下の棒を支える「つっかえ棒」を付けていますが、これが原因で将来的に側面が反ってしまうかもしれませんので参考にされる場合はその辺も考慮してみてください。
接着は木工ボンド+アロンアルファです。



木枠で幅員が決まりますから、前面はそれに合わせて丸めます。
ここまで組めば相当頑丈。ちょっとやそっとで壊れそうにないです。



ウインドヘッダーとドアの取手にはランナー伸ばし棒を採用してみました。
・・・ウインドヘッダーは中々いいと思います。



屋根は木製。
蒲鉾型に整形してあるものの幅と長さを詰め、おでこを整形して使用します。
整形したら溶きパテを全体に塗り、さらに500番のサフを塗って表面を整形してから車体と合体。



屋根をやはりボンドと瞬着で接着したら、また1000番のサフを吹いて整形。
・・・500番のサフは車体に塗ってしまうと、扉など細かい部分をヤスるのが大変なので、なるべく避けたいです。
屋根のバンド?はプラ帯、パンタグラフは中古で安かった物が良い大きさなので使おうと思います。


(つづく)

小田急デユニ1000をつくる その2 (完成)

$
0
0



前回のつづき
下回りを作ります。



車体から採寸して市販の床板をカット。
前面のカーブはヤスリでそれなりに・・・笑
車体を頑丈に作っておくと寸法を当たりやすいので便利です。
台車は日光のボールドウィンタイプ、カプラーはケーディーの5番を使用しました。





床板の固定にはジャンク品から取り出したこの部材を。
これで車体裾の角材と床板を挟んで固定します。



ベンチレータはエコーのガーランド型
T型を持っていなかったので、縦割りにして使いますw
レザーソーで筋を入れ、カッターを金槌で打ち込むようにして分割しました。
切断面がかなりキレイなので、そのままプラ板を当てて整形してやれば使えます。



床下は日光のパーツを適当に見繕ってきました。
・・・工作はこれでOK
元々「目指せロコモデル」なので手すり類は一切省略。
箱型テールライトもパーツがないのでプラ角材を整形してオシマイという仕上げですw
手すりが曲がったり塗装が剥げたりすると悲しいので今回はこんな感じですが、ここからディテールに拘っていくのも大いにアリでしょう!
・・・実車の写真がほとんど無かったという事情もありますw

いよいよ塗装



〒マークは写真を見ると国鉄のものとはかなり違う縦長?に近いもので、インレタなど無いと判断し塗装にて表現。
赤→白→車体色
と塗っていきました。
Nでは不可能でしょうけど、このサイズならわりと上手くできました。



車内の細工は特にありませんが、流石にと運転台仕切りだけは取り付けています。
これはなかなか効果大なのでおススメです。





「郵便」「荷物」はHO用の物は持っていないので…GMの古い大きな字のインレタを使用しました。
Nに大きくHOに小さし・・・という具合ですが、まぁまぁかなと(汗
格子窓は塩ビに裏からPカッターで筋を入れる方法で表現しています。




という具合で16.5ミリの2作目が完成。
「極力手持ち品で作る」
結局購入したのは台車とヘッドライト、それにジャンク品のパンタ。まぁ許容範囲でしょうか・・・
「目指せロコモデル」
デザインナイフで窓を抜いているので、カドはそれを超えた気がします。

皆さんもペーパー自作いかがでしょうか?
・・・とは云うものの、3DCADやら紙でもレーザーカットの時代に、イチから切り抜いていくという作業はなかなか取っ掛かりにくいと思います。それこそ何年もかけて水平垂直にカッターを使いこなせるようになっても、レーザーカットなら当たり前のように厚紙も美しくカットしてくれますから。
その作業や時間を楽しむとか、何かしらの目標(意地でも手持ちの物を使う)なんかが無ければ挑戦しようという事にもならないのかもしれません。

明延へ行く

$
0
0


10月2日に行われた「一円電車まつり」に参加してきました。
明延鉱山は兵庫県養父市大屋町にあった鉱山で、40種類以上の鉱石が採掘されていました。
中でもスズは日本一ということで有名。
昭和62年に急激な円高によって採掘可能な大量の鉱脈を残して閉鎖となりましたが、かつての栄光を後世に伝えるための様々な取組みが行われている所です。

明延で採れた鉱石を山の向こうの神子畑まで運搬していた軌道にお客を乗せたのが「1円電車」
開始からなんと昭和60年まで1円で乗れた事からこの名前があります。
今でもシンボル的な存在として地元の人々に大切にされていました・・・

明延へはマイカーを飛ばして前日夜に到着。
毛布にくるまって車中泊をしました(笑)





明延鉱山の中心部は立入禁止になっていますが、集落内には当時の遺構がいくつか残されていて雰囲気を味わうことが出来ます。



朝一で見た明延集落の中心部の振興館に静態保存される車両。機関車18号と怪しい「電車」、それにトロッコ。



怪しい電車の正体は「白金号」
・・・この地でプラチナが採れたかというのは不明ですw
鉱山工作課の力作?で役職付職員の専用車だったらしい
が、定員6名という車体は軽自動車より少し小さいくらい・・・



片側に出入口があり、向かい合わせに座席、奥にコントローラーが鎮座する特殊な配置
・・・とは言うものの、このサイズではこれが一番適当な配置かもw



振興館内ではGゲージがゴロゴロ走行中。
これだけでも見る価値アリです。





そうこうしている内に9時になり、一円電車の運転が始まりました。
くろがね号という客車も電車同様に工作課製。
丸っこい車体に格子の入った窓が異様な雰囲気です。



よく見ると仕上げはかなりワイルドです。



現役時代は18号などの機関車に牽引されていましたが、復活に当たっては架線が無くても走れるバッテリーロコを入手して使用しています。



寄付金1円~を払うと切符がもらえ、乗車可能です。




続いて探検坑道へ
操業当時の坑道が最低限の手を加えた状態で保存されています。
ガイド付きで中を見学可能。ガイドさんが当時の職員だったこともあり、あっという間に時間が過ぎます。
普通の日は予約が必要なようですが、ここに来たらこれを見なければとても勿体ない!





パトロールカーという動力付き人車。
林鉄のモーターカーみたいなものでしょうか。なかなか面白いです。



探検坑道の外にも車両が展示されています。
こちらは坑道内の500ミリゲージで使用されていたもの。



こちらが762ミリゲージの「1円電車」
18号は5.5tなのに対してこちらは10t機。
思っていたよりずっと大きくて驚きました。やはり実際に見るのは大切?
機関車の次位に連結されているのは無線操縦装置が積まれた貨車だそう。
・・・現地には路線の解説のみで個々の車両について解説が無いのがちと残念。





こちらは白金号の同僚の電車の赤金号
やや大きくて9人乗りらしい。
前面の窓より上はカーブがついているが腰の部分はそのまま角、さらにフレーム部分はぶつけたのか真ん中が凹んでいるw面白いカタチをしています。



「日曜日は日没までに家に帰りたい症候群」の私は、お昼に振興館でうどんを頂いて早々に撤収。
神子畑の方の遺構など、見そびれた個所が多数ですが大満足の休日でした。

木曽へ行く その1

$
0
0
9日に開催された王滝森林鉄道フェスティバルに顔を出していました。
模型で付き合いの長い大先輩氏を乗せて王滝村へ
朝は本格的な雨でしたが、一番列車の走るころにはすっかり上がっていました・・・





木曽林鉄の「顔」たる運材列車
材木を積んだ状態で静態保存されている場所はありますが、ここでは真新しい材木!当然エンジンを唸らせて走る!
・・・ゆっくりとやって来た車両が思ったより小さくて模型っぽい構図になってしまいましたが(笑



当時ものの客車に乗れる乗車体験も
もう1両あれば大勢乗れるのにナァ・・・





スポーツ公園内の車庫に展示される車両たち
模型を並べたような雰囲気だったりします。
鉄道模型の工作派の人間にナロー好きが結構いるのにはこの辺に理由がありそうです。



最近レストアが完了した84号機もいました。
・・・3年前の前回はレストア途中の姿でした。
7t機で他より大きくてボンネットが高く、ずんぐりした印象です。



大盛況の松原スポーツ公園
お昼を食べて、同行氏が滝越へ行った事がないと言うのでご案内。
せっかく王滝へ来たら滝越に行かないと勿体ない!



おなじみの保存車に





のこされた保線区



いつも気になる納屋
・・・滝越集落をグルッと散歩
改めて「湖畔の村」というこのムラの雰囲気は独特だなと思います。



滝越への道の途中の自然湖
・・・なかなか日本離れした処です。



運材台車に跪くひと

(つづく)

木曽へ行く その2

$
0
0


林鉄関係以外もすこし



(上二枚 飯田市三穂)


王滝からの帰り、少し時間があったので木曽の宿場を散策



思い出があるという須原宿を案内して頂きました。
駅からして相当懐かしい感じ・・・
ハンドルを握っていれば新道(と言っても相当前に開通していますが)を通過してしまうので、街の中を覗くのは初めてです。





宿場時代の面影を残す建物が、観光地化していない通りに残されていました。
・・・水路に渡した縞鋼板の上に駐車された車が個人的にはツボです(笑



「水舟」と呼ばれる水槽が通りに置かれているのが名物だそうです。





中仙道の宿場町
かつて多くの旅人や車馬の行き交った町
歴史の表舞台から姿を消し
静かに時が流れる・・・

明延のしろがね号(明神電車)

$
0
0


某所で要望があったので、模型用に撮影した車両の写真もこちらで公開していきたいと思います。
・・・遠隔地で中々実際見るのは・・・という場合に模型化の際の参考にしていただければ幸いです。

模型製作の視点から撮影していますが、ヘタクソなのはご容赦くださいw

第一弾はしろがね号です。
このコーナーでは実車の来歴や現役時についての解説は特にせず、ひたすら「撮影時点の姿」を紹介するつもりです。
それらの文献は他にあるでしょうからね。





サイドビュー
全長は約3300mm。軽自動車程度です。
片側にある扉の寸法は1350×550。
車輪の位置がズレているのに注意。外にせり出している方が駆動軸。



非駆動軸側の前面片側には窓を塞いで手回し式のサイレンが取り付けてあります。









駆動軸側前面
全体に曲面で構成された独特な風貌です。
ボンネットの肩部分だけ角になっているのが面白いところ。





車軸回り











車内
定員6人はかなり窮屈だろう。


(訪問日:2016.10.2)
Viewing all 313 articles
Browse latest View live