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Channel: 工場長の製作日誌
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大鹿への道(トロッコ軌道跡?)

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南アルプスの懐、大鹿村



大鹿村へ向かう県道を走ってると、小渋川対岸に白い一条の線が・・・
地図上ではこの位置に道はありませんし、この白線は小渋ダム堤体にぶつかって途切れてしまいます。
雪がうっすらと積もると、こうした水路・小道が浮かび上がります。

・・・所々崩れているし、水路だとしても使われていなさそうです。
廃道マニア心をくすぐられますが、このルートにはちょっと心当たりが。


『下伊那史 地理編』によると、大鹿村から松川町部奈まで軌道があったようなのです。



地図は同本より引用。(赤丸部が今回歩いたところ)
なんでも、大正時代に久原鉱業という会社が大鹿村の木を切り出すためにトロッコ軌道を敷設したそう。
大鹿村内の製材所を経て、部奈からは索道で天竜川を横断、上片桐駅まで引き上げて飯田線に積み込み。
材木は日立鉱山の坑木として利用されたが、関東大震災の際には復興資材として利用されたそうです。

伐採が行われていたのは大正6年から昭和4年まで
この間だけ軌道があったとすれば、実に80年以上前の廃線跡!となります。
・・・これは見に行くしか・・・という事で気づけば崖の上に(笑)


小渋川を長靴で横断、対岸の谷づたいの獣道をジグザグによじ登るとちょっとした平場が



しばらく進むと石垣、やはり山腹水路ではなく道のようです。



道のわきに不思議な穴が・・・
一辺1.8mほどの矩形断面で道に垂直に掘られています。
・・・歩いた区間2カ所にあり、道に垂直していて道路トンネルではなさそうなのでスルーしたのですが、一体何なんでしょうかね。
北側斜面なので氷室のようなものには最適かと思われますがはたして・・・?



この道のハイライト?の断崖区間
小渋川の作り出したかなりの絶壁の中腹に道が刻まれています。
対岸にはダンプの行き交う県道があり、生と死の対照的な二本の「道」が並行しています。
・・・なので人気が無く全く静か、といういつもの探検とは違う雰囲気でした(笑)



ややオーバーハング気味に削られた崖
この道を通す際の苦労が偲ばれます。
「下伊那史」によれば、トロッコ道は全長24キロで既設の道を9尺に拡幅して利用した、とあり、およそ3m弱の幅員。
対してこの道は広い箇所は3mくらいですが、断崖区間はせいぜい2mちょっと。
・・・まぁ、この幅員が取れない箇所もあったと考えれば該当するのかなと・・・
「下伊那史」の地図が正しいとすればこのルート以外に通せる場所があるように思えないので、おそらくここがトロッコ道なのかなと。
ちなみにトロッコの軌間は不明、動力は重力に従って下山、上りは畜力によったそうです。
昭和6年の地形図には、大鹿村側からちょうど私がスタートした辺りまで、点線道(小経 幅員1米未満)で描かれるも部奈までは通じていません。全く不自然な位置で途切れるのですが、穴が何かに使われていたという事なのか・・・?



当日は積雪は無かったものの、湧水が凍結し氷瀑?ではないが見事なツララを形成していました。
・・・アイゼンがあってよかった。


訪問日:H29年2月18日
※この日記を読んで訪問される方は(いないと思いますが)、自己責任でお願いします。転落・落石・野生動物などの危険があるのでおススメできません。

GMキットの飯田線

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たまにはGM板キットもいいものと、飯田線の旧国を作りました。
・・・KATOから良いのが出ているので、ゆる~く(笑

といっても、4両のうち3両はイチから作ったものではありません。



だいぶ前にこの状態で入手。台車を使うだけでも、と部品取りになっていたものです。
流電とサハ87の台車は流用されたものの、車体も組立ては丁寧で勿体ないなと。

塗装剥離も面倒なので表面をヤスって段差などを平滑にし、その上からスカ色を塗ってしまう作戦で・・・
サハは屋根の塗替えもしていないのでかなりの手抜きです(汗



流電は前面の取付もうまく出来ていたので溶きパテを盛ってヤスる程度。
手持ちのテールライトとタヴァサのヘッドライトを取り付けました。
左右裾の足かけもプラ板を使って修正しています。



新製したのはクモハ61
今回部品の都合で流電が1両しかレストアできず、将来の編成替えを考えると両運がいいかな、という程度の考えです。
こちらも在庫の都合で増設する乗務員扉は51系から持ってきました。
・・・モールドの深さが異なっていて、シルヘッダーなどを新規に工作する羽目に・・・w
前面はクモハ43からリベットを削って使います。



切接ぎは工期短縮のためパテなど一切使わず処理。
光にかざすとちょっと目立ちます・・・
乗務員扉脇の手すりはランナー伸ばし棒です。



折角なのでウェザリングに拘ってやろうと屋根を中心にMrウェザリングカラーで汚しています。
だいぶ進歩したような、まだまだなような・・・
クモハ52は004の一回きりの塗装。の割にクモハ61はどのナンバーでもないお気楽仕様w





クモハ61にはキッチンのヘッドライトにSeria(100円ショップ)の手芸コーナーにあった「UVクリアレジン」を盛ってレンズとしてみました。
どの程度盛るかが難しい所かなと思いますが、直射に当てて硬化させれば十分な硬さと透明度があり、レンズの簡易表現としては十分に使えるかなと思います。
それから、このキットでどうしても気になっていた真っ黒な幌ですが、今回思い切ってクリーム色を塗ってから黒を差してみました。個人的にはこちらの方が雰囲気的にはいいかなと思います。
列車番号窓には窓用の塩ビ板を切って木工ボンドで固定、墨入れで汚いグレーにしています(手抜き)



私のプラ工作の原点?のGMキット。飯田線シリーズとしてボツボツ増やしていきたいと思います。

引っ越しました

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(安曇野市堀金)

下伊那から松本地方へ移転しました。
ようやく家にネットが開通し、ブログが可能に。



(松本市島立)

転居時は蕾だった桜も市街地ではあっという間に満開になっています。


机も整理したので早速工作も再開。
まずは整理と組掛け放置の物に着手しています。



まず1日で完成したIORI工房のハ1005。
「超精密」ではない以前のキットですが標記を入れるとなかなか緻密な仕上がりになります。
(デカール紛失につき、写真のは別キットのを流用、ナンバーはGMインレタ使用)


また色々探検しなくては・・・

草むらのヒーローたち

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折角なので休日に花見と、ちょっと有名な桜の木を訪ねたところ、
田んぼの片隅に軽トラックが静かに休んでいました。





ホンダTNⅢ(1970~72)
今なお仕事中、のような素振りで桜の木に横付けされています。
特徴的な縦ライトのTNⅤになる前の車。
プレスのHマークが特徴的です。
車体はサビサビですがメッキの輝きは褪せていません。




3代目スズキキャリイ(1966~69)
TNⅢと向き合って置かれていたのは初のキャブオーバーのキャリイ。
こちらはだいぶ土に還っています。
・・・思えばこのタイプのキャリイには良く会う気がします。
4代目は未だ見たこと無し。



静かな時間が流れています。



オマケ



近くの「輪店」に置かれていたサブロクの荷台。
テールライトがミゼットと同じ?なのでハイゼットかな?と思ったのですが・・・
プレスラインからやはり2代目ハイゼット(1964~68)でした。

最近の事(お知らせなど)

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この地でも桜はあっという間に散り、いよいよ田んぼの準備も始まりました。



完全に私事ですが、先日佐久市強歩大会に参加
2度目にして初踏破に成功しました。
韮崎~佐久間78キロを夜通し歩きます。

先人たちの苦労と、高度交通網整備への不断の努力を偲ぶ機会でした。




こちらもアレですが、縁あって今月発売のRMモデルスに私の記事が掲載されています。
プロに撮って頂いた拙作はものすごい見栄え・・・感動。
・・・完全に「ナローの人」という感じですが、こちらでは相変わらずNもやっていくつもりです(笑


さて、最後に宣伝を。
昨年に引き続き、29日開催の「鉄道模型市」に出店予定です。
今年も友人氏と共同で、今年は「平成組」というブース名で出店しています。
昨年のような鉄コレ投げ売りは無く、ひっそりとしているハズです(汗)
IORI工房さんへカット依頼した井笠タイプ客車のキットや、若干の完成品などを用意してお待ちしております。

猫屋線を見る(その2)

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うっかりしていてあまり更新していません。
・・・五月病ではなく何となく・・・何なんだろう(言い訳



鉄道模型市にお越しいただいた方々、ありがとうございました。
ブログ見てます!というお声掛けを頂いて励みになりました。





さて我が家にも猫屋線第2弾がやってきました。
キハ13のセットの方を入手。
そういえば、予告のイラストでは裾部に帯がありましたが製品にはありません。
・・・個人的には入っていた方が好きかも。



で、いきなり分解w
前面が交換式になっていて簡単に外せます。窓ガラスもしかり。
最近の鉄コレは前面窓と側面窓が嵌め合いになっていてツメをカットしないと外せないようになっていたりするので、これは楽チンです。
前回はバス窓のサッシに色が入っていなかったのですが、今回は銀色の印刷が。
・・・車体色にすると、車体との色の違いが目立ってしまうので銀色なのは良いですね。



という訳でキハは塗装剥離。



気の向くままに改造中です・・・

GM板キットを作る(クモハユニ44)

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季節はどんどん進みます・・・  (安曇野市)


つくる楽しみいっぱい。のGM板キット、クモハユニ44を作りました。
・・・在庫の消化ってやつですw





仮組みしてみて、妻面雨樋のRと屋根が一致しないことが判明したので、0.3ミリのプラ板を屋根の下に挟んで嵩上げしました。
より実車の印象に近いかなと思います。



それから・・・
このキットはパンタの取付穴とランボードの位置が一致しません(笑
※説明書に書いてあるのかもしれませんが、説明書はとうの昔に捨ててしまったので不明です。
写真と見比べると穴の方が実車に近そうですが、面倒なのでランボードに合わせてしまいました。



キットに含まれる細かな部品は古くて流石にちょっと…という感じでしたので、手持ちの範囲で印象改善。
連結器胴受けとヘッドライトはRMMの17m国電、ダミーカプラーは鉄コレ、避雷器はEVOシリーズ、グロベンはリトルジャパンの部品を使用しています。
・・・そのくせパンタはGM旧製品(中古)w
それから、行先板受けの真ん中の筋を追加すると一気にそれらしくなります。



車内を作り込む事はしないのですが、折角なので各部屋の仕切りだけはプラ板で作製。
・・・正直目立たないのですが、運転室後ろだけでもあるとだいぶ違うと思います。
実車は薄緑ですが、これが悪目立ちしやすいので濃いめのグレーで塗装・・・



飯田線シリーズ同様に塗装して仕上げました。

北陸の気動車をつくる(その1)

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いつ組み立てを始めたのか忘れてしまったKSモデルの北陸鉄道キハ5151の作業を再開しました。



側板をハンダで組んだ所でずっと仕舞っていたのですが、先日入手したキハ04のジャンクから屋根と動力を流用する事として作業開始。
妻面は新品を使っています。
・・・屋根はベンチレータ穴をそのまま使おうと横着し、前後2カ所切り継いで短縮しました(笑



今回プライマーにはクレオスのプライマーサフを初めて使ってみます。
これはプラの整形も出来てコンバージョンキットには丁度良いはずです。
・・・結果はまぁ、マスキングしてからのお楽しみでしょうか?



動力も短縮。GMの古い小型動力です。
コイツはウルサくてスローが効くのでお気に入り。見つけると買っています。


さて、能登線の写真を見ているとキハ5151が活躍していた時代にはガソリンカー改造客車が何両かいたようです。
http://6.fan-site.net/~haasan55/HokuKomatsu.htm
その中でも雨宮製の1501が偶然キハ5151と同じ場所に仕舞われていましたw



以前頂き物のデータから切り出し、四角に組んで放置していたペーパー車体。
窓1つ分短いですが、この際なのでセットで完成させましょう!



下回りもジャンク箱にあったキッチンの二軸客車のもの。
・・・確か電車にしたので余ったヤツですね。



いつも通り、黒い瞬着とサフで車体を整形していきます。
キハ5151のバケットは鉄コレから流用する予定・・・


続きます。

北陸の気動車をつくる(その2、完成)

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季節はどんどん進んでいきます。(安曇野市)




さて、工作の続き
1501の尾灯にはGMキハ04の付録前面から移植
・・・リアルさは無いですが、不思議と好きなパーツです。



床下機器はGMキハ04と鉄コレからそれらしく拾ってきました。
・・・キハ40000系列は床下がいっぱいいっぱいで、台車脇にタンクがあったりしますが、無理なのであくまでそれっぽくw

そして塗装。いつも通り塗装中の写真は無し。
試してみたクレオスのプライマーサフですが、結果は上々。
本格採用しても大丈夫そうです。





・・・1501のドアの吹き漏れは修正しました汗



屋根は明るめのグレーの上に濃いグレーを吹いてグラデーション仕上げに。
・・・リアルかと云えばどうかな?という感じですが、それらしいでしょ?



最後にバケットにはシバサキの小型気動車に付属していた自転車を搭載しました。

簡易軌道のペーパークラフト

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釧路市博物館からこんな本をお取り寄せ。

http://www.city.kushiro.lg.jp/museum/oshirase/kankoubutu/kidou-book.html

北海道の開拓地で活躍した簡易軌道に関する本
どちらかというと郷土史料という扱いだと思いますが、内容が充実しているのでナローファンなら持っておいて損は無いでしょう。お値段もなんと750円!
・・・かくいう私も簡易軌道に関してはあまり詳しくなかったので非常に興味深く読みました。

さて、この本に付録のペーパークラフト
縮尺は1/66と何とも微妙ですが、自走客車を製造した釧路製作所のHPでPDF版をダウンロード出来ます。

http://kushiro-ses.co.jp/pcraft

と、いう事で遊んでみました。
・・・久々に稼働させたプリンタの調子が悪く難儀しましたがw



1/80と1/87に縮小をかけて印刷、組み立てました。
まぁ拘っても仕方ないので素組みですw
なかなか良い感じ?



ただし、床下は猫屋線の床下パーツがそのまま入るように工夫しています。





お約束?の大きさ比較
猫屋線と並べると、どちらかというと1/87の方が違和感が無いような感じです。
アルモデル客車改造電車よりやや大きいですが、どちらの縮尺と並べてもまぁイケる?
・・・あくまで、ペーパークラフトの「1/66」を信じた場合ですがw




ちなみに、1/87では窓寸が猫屋線第2弾のバス窓とほぼ合致しますのでご参考までに(何

北八ヶ岳トロッコ軌道を巡る

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http://www.koumi-kankou.jp/?p=2656

タイトルの通りのトレッキングイベントを知り、以前から見てみたかった渋林用軌道をガイド付きで歩けるとあって参加してみました。
参加してみたところ、半分くらいが地元の方で「小学校の遠足以来だナァ」という感じ。
みんな野鳥が好きだったり山野草が好きだったり、目の付け所が違うメンバーで歩くのはとても新鮮で良いものです。

今回のイベントのスゴい所は、当時トロッコに乗っていた方に付いて歩いて頂けた点。
なんと86歳!
・・・いや流石にかわいそうでしょと思ったのですが、普通に登ってしまうのには驚きましたw
ここに盤台があった、飯場はこの辺りとか、当時は池はこの辺りまであってここは桟橋だったなど、往年の現地を見ながら歩いているような姿が印象的でした。




歩いたのは唐沢橋~しらびそ小屋~渋林道分岐の区間。およそ片道3キロくらい?



唐沢橋手前でレール転用の柵がありワクワクしたのですが、この林道はもっとすごい・・・
多くの区間でレールが存置されているのです。





この軌道の廃止は昭和34年の台風がきっかけでしたが、その後倒木処理などの関係で暫く使用、民間業者が使うような話があったため撤去されることなくうやむやになってしまったものと思われます。



この軌道の特徴はヘアピンカーブ
猛烈な数の九十九折れはどれも小半径で、機関車が走れるような規格ではなさそうです。
(廃止後観光用にそういう話があったらしいが頓挫)



急坂を登りきった所にある緑池湖畔にしらびそ小屋があります。
かつてはここに飯場があり、30人程度が入っていたそう。
・・・当時は池はもっと大きかったとのこと。



小屋前のベンチ下に、1911年の印のあるレールを見つけました。
・・・6㎏レールにも銘が入るんですね。





当時の職員の方の話を聞くと、
レールは4~5mの物を現地でカーブに合わせて曲げた(まず内側のレールを敷く)
枕木は製品のものと、現地で作った丸太状態のものがあった
この軌道では3~4頭の馬を使用していて、上りはトロッコを積み重ねて馬に牽かせて登った
橋などは馬が怖がって通らないが、1頭だけ平気な馬がいたので橋ではそいつに牽かせた
トロッコには「堀田式」と左右にブレーキの付いた「カラサワ式」があるが、多くが堀田式だった
堀田式は片側にしかブレーキが無いのでブレーキ側を重くしないとうまくない
朝登って積み込みをして降りてくるので1日仕事だった
(この付近のチェーンソー導入は遅くて軌道廃止の頃だったので、まぁそんなもんだろう)
飯場には流しの衆が沢山来ていて、九州から来た人なども話をしてくれた
トロッコまでの集材には沢を使う事もあったし、後には集材機でもやった
など、どれも実際作業した方しか話さないだろう貴重な内容でした。


最後に、松原湖観光案内所で現役自体の写真が展示されていました。
・・・今日だけ!という事で実にもったいない。。。





堀田式のトロに乗るドヤ顔の作業員(笑
人力のトロッコはロープ捌きだけで降りて行きます。



台車上で立って一服しているのが、今日ガイドしていただいた方だそうです。

佐久のキホハニ56

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前回記事の小海の帰りに佐久、旧中込学校横に保存されているキホハニ56を見てきました。
中込学校は国の重文になっている洋風建築の学校で、その脇の「成知公園」にC56とキホハニ56が保存されています。
・・・奇しくも同じ「56」ですね笑



屋根付きのホームに置かれていて、フェンスのカギは旧中込学校の職員さんが管理しているので状態は非常に良好です。
塗装がだいぶ色あせてはいますが・・・



この車両は敗戦前後のガラス不足の時代の名残でガラスの分割が多い窓が残っているのが非常に貴重です。

・・・特に調べた訳ではないけれど、別府鉄道晩年時点で既に日本最後だったのでは?
普通であれば修繕などで一枚ガラスに戻るのでしょうが、なかなか窓が壊れる事が無かったのでしょうか?

社紋はサが9個で「サク」という佐久鉄道の物です。
一応佐久鉄道時代の状態に復元されていますが、外観はバケットの撤去と社紋の取付程度なのではと思われます。
・・・ホームに面した側以外の3面の窓の四隅にはアングル材が取り付けられています。
昔は金網でも張っていたのでしょうか?



中込学校の開館時間なら車内も見学可能
多少埃っぽいですが、破損などは余りなく良い状態で保存されています。
奥の荷物室仕切り(復元)が露骨にベニア材で浮いているのがちょっと残念・・・





機械式気動車の運転台
※ハンドルはブレーキでステアリングではないので注意w





ホーム上には解説板もあり、詳しい経歴が書かれています。






ちなみに、この車両と共に鉄道設備も別府鉄道から譲り受けた模様
はるばる兵庫からやってきた踏切と信号機が、特に縁のない佐久平に立っています。
それでも現役時代の一番長くを兵庫で過ごしたキホハニには大事なお供かもしれません。

ダイソーケースに地面する

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機は熟したり
と、言うよりは勢いで作ってみました。
Nゲージでは初めてのジオラマ、というか先作は10センチ四方に情景というべきものは岩くらい、という代物なのでほぼ初のジオラマです。
後述の廃車体を含めて10日程で作製しました。

お題は「気動車庫」
車庫はジオラマの題材としては定番
ジオコレの車庫も手持ちにある事だし・・・と選定しました。



配置原案
ベースは300円のダイソーケース
400円の物の方が長くて色々盛り込めそうですが、間延びしてしまいそうで止めました。



線路と車庫を思い切ってカット。
ケースに納めます。
・・・ちょっと写真の構図決めるのに似てる?

手前のスペースに空きがあるので廃車体を配置
IORI工房のニ4044
明治時代の荷物車です。

機関区の裏には廃トラックを置こうかなと思ったのですが、ギチギチになってしまうのでこちらもカット。



ニ4044は倉庫にすべく扉を開けた状態に加工し、床板と角棒の基礎をプラ材で作成しました。




レールを艦底色で着色してから建物の基礎を固定していきます。
ジオコレの基礎もプラモ用セメントでベースに良く付きます。



この地面の主役のひとつ、計量器
GMキハ04のキットに含まれるもので、これで地面を・・・などと大昔から思っていたものです。
脚が左右でつながっているので真ん中を削って整形しています。

いよいよ地面を作製
先作同様に真砂土に焼石膏を混ぜたものを散布し、霧吹きで水を吹いて固定。
霧吹きは100円ショップの醤油用とか化粧品用が便利です。



固まったらMrカラーのウェザリングマスター各色とタミヤの墨入れ塗料をエアブラシで吹いて着色。
・・・この使い方は結構便利。


後は植栽作業
KATOのターフ等を植えていきます。
直に捲いてスポイトでボンド水を置いて固めようとすると、ボンド水が染み込まずに上手く行きません・・・
地面を霧吹きで湿らせてからやると上手く行きました。
建物が紙なんかの場合は要注意です。
・・・廃車体に若干ヒビが入ってしまった。



そんな具合で完成!
もっと手を入れたい箇所はいくつもあるのですが、とりあえず最初の作品という事でこんなもんでしょう(汗




車庫の切断面は黒マジックでw
廃トラックを置く予定だった場所には木と廃材を配置しました。
戦争の忘れ形見の代燃装置が蔦に埋もれています。





ジオラマ真正面に鎮座する廃車体
ジオコレの車庫はディテールが相当甘く、横に据えるとおかしい感じになるので、この場所にしています。
扉付近にドラム缶(GM詰所より)を1つ配置しました。


20m車を置くには手狭ですが、私の大好きなキハ04くらいのサイズまでならお立ち台にちょうどいい地面になりました。
・・・いいのがあれば人形など置いてみたいですね。

別府キハ101をつくる

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いよいよ夏が近づいてきました。

さて、手持ちの鉄コレ同和鉱業を別府鉄道のキハ101にしてみました。

別府のキハ101といえば、ブレーキ管破損防止のために裾が延長された独特の姿をしているイメージですが、晩年になって取り付けられたようです。
そのため登場時は同和時代とほとんど同じ。
塗替えのみで対応できます。
・・・なお、側面客扉間のみ裾が延長された姿の写真があり、前面はそのままで側面のみ裾延長という時期があったようです。



在庫のうち塗装の程度の良いものは入線時とし、色を剥がさず似せられるか試してみました。
・ナンバーを消去し、別府のインレタ(キッチン製)を貼り付け
・半光沢クリヤに白を若干混ぜて上から塗装
という手法です。
ちょっとムラになりましたがウェザリングでカバー。汗
入線時のピンク系の塗装になりました。
ホントはジャンパ栓の有無や尾灯の形状などが異なるのですが、これは鉄コレ同和も同じなのでまぁ勘弁してください笑

屋根には銀河のタイフォンを取付、ベンチレータと合わせてグレーを筆塗りしています。



床下機器も全体をジャーマングレーで塗装。
エンジンは銀を塗った上からタミヤの墨入れ塗料をペタペタ。いい具合にガンメタっぽくなります。



途中でちょっと浮気をして北陸鉄道から国鉄キハ41000を。
雨樋取付前の原型の姿です。
・・・このキハ41057は昭和24年に廃車となり、同和鉱業キハ301そして別府鉄道キハ101となります。
違う時代の同じ車両を並べる。模型ならではの楽しみ方。


塗替えは調子が出てくると楽しくなって車内も塗ってしまいます。



椅子をマスキングしてマホガニーで塗装。さらにエナメルで3色目を塗っています。
・・・エナメルは流石に意味が無いのであまりお勧めせずw
キハ41057時代は原型の背板が木のものとし、茶色にしています。


さて、改造が必要な晩年仕様へ。





前面にジャンパ栓を付けたり、ライトのレンズ化を行います。
そのあと裾に1×1mmの角棒を貼り付けて裾を延長。
改造はこれだけです。



塗装はGM28番と、写真の塗料を混色して作った朱色。
ライトレンズはグラスファイバーをライターで炙ってレンズ状にしたものを、最後に木工ボンドで接着します。





なかなか良い感じに仕上がりました。
キハ04シリーズはお気に入りなのでまだまだ在庫があり、暇を見て色々作っていくつもりです。

長野電鉄の保存車の行方

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最近ブログに書くような模型の製作はしておらず、気の向くままにお気楽工作になっています・・・

さて、
「県内私鉄の鉄コレはキレイに仕上げよう」
という方針により長電1003を仕上げていた訳ですが、床下機器に板状の何かが。
せっかく実物があるので見に行くか、と思いついて翌日に信濃川田へ飛んでいきました。

・・・やはり「見れる時に見る」というのは何でも重要です。
ぶっ壊されないうちに・・・汗



初夏の信濃川田駅跡
5年前に廃止された長電屋代線の信濃川田駅は今も路線バスの待合所として使用されています。
架線が無くなり、寂しい構内にはかつての特急車2000系A編成と1003号が放置されています。
・・・当初は他にも保存車があったのですが、次々に搬出されてこの場所からは無くなっています。
※最近まであった3500系は解体となった模様。

引き取り手が無ければこの4両もそのうちスクラップになるのではという状態なので、早めに見ておくのが良いように思います。
かつて車両を大事にしていた長野電鉄はもうありません。





2000系はホームに横付けされていて、反対も草に覆われていて床下機器は見えませんが、1003はポツンと置かれているので、現役時代以上に細部を観察することが可能です。

昭和24年日本車両製の標準型
大きくカーブした前面を持つ大ぶりな車体が特徴です。
ワタシが確認したかった部品はやはりタンク類のカバーの鉄板でした。



と、いう事で哀愁に満ちた信濃川田駅を後に安曇野へ戻り、気がかりだった2両を訪ねました。
昨年信濃川田駅から搬出され、松川村へ寄贈されたモハニ201とモハ604。



安曇野ちひろ美術館のトットちゃん広場に展示されています。
展示に当たり車内を教室風に改装されていますが、非常に美しく整備されています。
訪問時は開館直前で職員さんが掃除中、信濃川田に放置された車両との違いに驚きます。



大正15年製のモハニ201
長野電鉄開業時に用意された電車です。







戦前の車両らしくリベットごつごつの無骨な車体ですが、各部の調度が凝っているのも昔の車両らしい所。



運転台にこの車両が展示された頃の看板が。
・・・長野電鉄としては捨てた方が良いと思うんですが、そんな関心も無いのでしょうねぇ。





もう1両のモハ604
昭和2年川崎造船所製。
・・・初期の鋼製車は鉄板の加工技術を持った造船所が手がけました。



いかにもな川造スタイル
車体には「モハ」と書かれていますが、クハ化後のままの状態で保存されています。






訪問日:2017年6月24日

紀州鉄道キハ605

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長らく伏木にあったという紀州鉄道キハ605がヤードから移動したという情報があり飛んで行きました。
・・・キハ04大好きとしては是非見たかった1両なのです(笑



場所はのと鉄道鵜飼駅跡
能登半島の珠洲市にあります。
・・・能登半島が思っていたよりずっと大きいというのに出発後に気付くw

なんでもこの秋に開催される奥能登国際芸術祭で展示されるアート作品として展示されるとの事。
まぁ色々不安要素しかないので早々に見に行っておこうという訳です・・・
キハ605を誰が取得したのか、どのように利用されるのか、終了後はどうなるか等は全く知りません。




何はともあれ鵜飼駅に久しぶりにやって来た列車
朽ちつつあるベンチがお出迎え。

紀州鉄道キハ605は元々常磐炭鉱の通勤用に登場、そのあと岡山→和歌山と流れた車両。
和歌山の紀州鉄道では導入時にいろいろ改造されたものの結局1回もお客を乗せて走らなかったようで・・・
運の無いというか波乱万丈な車両かもしれません。



形状は国鉄のキハ40000に類似しているように見えますが、側面の扉や窓寸法は広めになっています。
張り上げ屋根も相まってなかなか近代的なスタイルです。
前面真ん中2枚の窓は紀鉄時代に大きな1枚窓に改造されていて、完全な復元ではないので平面になっています。
・・・ついでに言うと運転台も真ん中のままなので、運転士の真ん前に窓柱が来る不思議な状態になっていますw





12m級の小さい車体なので、床下には機械類がぎっしり。
連結器下のタンクやハの字に配置されたラジエターが印象的です。







ワタシの無改造猫屋線
屋根と床下をジャーマングレーで塗装、他はウェザリングのみです。
こうして見ると、床下機器の密度感を上げればなかなか良い感じになりそうではありませんか??

赤沢へ行く

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なんか「またか」という感じですが実は今年初の赤沢自然休養林へ
・・・去年は何回行っただろうか?笑




行く途中には笹焼土場という現役の土場もあり道から観察できます。
下に敷く2本の木は丸太そのままではないんですね。




午後から雨の予報だったせいか森の中は人もまばらで落ち着いて散策できました。






C型客車は最初に見たころより順調に土に還りつつあります・・・





いっぽう資料館のモーターカーはレストア中
作業されていた方によればトヨペットのエンジンは快調との事。



館内にテレビが設置され長野営林局制作の記録映画の上映が。
・・・確か去年は無かったような・・・?
なかなか良いビデオで見る価値ありです。



緑深い赤沢休養林
来月はイベント期間でトロッコの料金が200円増しになるので要注意です。

訪問日:7月24日

古いGM動力の整備

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さて、JAMには行けなかった訳ですが。
代わりではないけどちょっと用があり上京。
中古屋巡りをしました。




そこで見つけたのがGMの17m国電
動力不動で1つ500円・・・
不動なら動かしてみようということで拾ってきました。

・・・こういうのは車輪を見て使用感が無ければ割合簡単に直ります。
と言っても、鉄コレ動力を使う人の方が圧倒的に多いでしょうが・・・



動力は古いエンドウ製のもの。
まぁ性能は古いなりだったりしますが、よく走るのは確かです。

早速分解



上の方はコンデンサ付き、左右のダイカストを固定するネジが金属製だったり、古い世代の物のようです。
で、不動の原因ですが・・・この製品の場合は十中八九ダイカストが錆びて接触が悪くなっているのが原因です。
下のようにモーターとの接触部を磨けば直ります。



最後にギヤにタミヤのモリブデングリスを塗って完成。
ビクともしなかった動力はどちらもスムースに動くようになりました。


500円でこんだけ遊べれば十分かなと思います。
車体もレストアすればよりお得!
・・・究極の時間の無駄とも言えますねw

蒲原鉄道モハ71をつくる

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今は無き蒲原鉄道
中でもモハ71は乗車したことがあり思い出の車両だったりします。

だいぶ前の鉄道模型市で仕入れたジャンクのキットを仕上げました。
ターミナルプランニング製のようです。



入手時点で箱組されていたので、当工場での作業は屋根を作る所から。
鉄コレの一畑の屋根を2枚使っています。
お椀型ベンチレータは再利用したい(ケチ)ので、デザインナイフで上手く切除してから屋根の整形にかかります。
・・・金属とプラの接合部がどうしても弱く、整形にはかなり苦労しました(汗
耐衝撃用の瞬着の使用と、裏にプラ角材などを当てるのが重要です。





屋根がキレイになったらベンチレータをまた屋根に戻し、ランボードなどを取付け。
・・・配管やろうと思っていたのですが忘れてしまいましたw



手摺類は相棒のクハには付いていないので金属のリアルなものではなく、ランナー伸ばし棒を貼り付けた平たい表現としました。
Nならこの程度の表現が好きです。


ここから塗装



連結相手のクハ10は鉄コレをほぼそのまま使いますが、製品は車内のパーツが青。
蒲原鉄道は白っぽい車内に赤いシートが印象に残っているので・・・塗り直し。
もう1両旧作のモハ91の車内も同様の塗装にします。





最後に光学繊維でテールライトを作って完成。
蒲原は他にもキットを持っているので、徐々に仲間を増やしたいと思っています。

頸城のニフをつくる

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今も奇跡的に残る頸城鉄道のニフ1
明治時代に作られた台枠まで木造の客車です。
木造部分は朽果てたようで、再建されていますが非常に丁寧に復元されています。
・・・現役時よりキレイ?

大昔の乗工社の「軽便合造車」と題した未組立のキットを製作しました。



妻面に短冊表現の無い製品なので、1971年発売の最初期の物と思われます。
・・・取説が無くちょっと困ったのですが、西南海観光鉄道さまに画像が掲載されており助かりました(笑
http://www.asahi-net.or.jp/~bw9t-ymgs/draw/75nifu.html



このキットの特徴は屋根を固定するネジがランプを模したカタチになっている事。
再生産の製品は普通のネジになっています。



久しぶりのハンダ工作。
基本的に床板と側面妻面を接合すればよいだけなので簡単です。
屋根は4枚の板をネジ止めで重ねた物を塗装後に接着剤で車体に合わせます。

扉横の手摺を追加して塗装
現役時代は茶色一色なのですが、私が実際に見た現在の姿として建具を黄色に塗ってみました。



以前仕上げたハ6といいコンビになりました。



ランプはこんな風に見えます。
特に車内は再現していないのですが・・・何となく楽しい気分になりますね。
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